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三洋堂書店40年史(目次)
>>第4章 本格的な複合タイプの開発と人材確保 |
1.レンタルへの取組みと大卒の本格採用開始
1987年〜1988年 |
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レンタルへの取組みは1987年頃からですね。
最初はC.C.CのFCとしてスタートしました。C.C.Cの増田社長に店長会議の時に講演にきていただいたこともありました。C.C.Cでのレンタル出店は多治見店、刈谷店、一宮店、本店の2階の4店で、後は自前のシステムで出店することになりました。C.C.CのFCでは支店間でレンタル商品を移動できなくて、チェーン店のメリットが出せない。だから自前でやるようになりました。それに、もともと三洋堂はなんでも自前でやるのが好きでしたから。自前主義はコーポレート・カルチャーなんでしょうね。だから人も育ってきたのかもわかりません。
可児店と関店でのレストランとの複合、多治見店、刈谷店、本店2階でのレンタル、一宮店でのレンタル、中津川店でのビリヤード。いろいろ書店との複合を試みました。というより将来の大型化に備えて大きな店舗最初から用意しておく。ついては物販で90坪という規制があるので、物販以外で書店との複合でマッチするものはないのか、ということでレンタルとかレストランとかを併設していった。朝倉潤真さんがやっておられた学習塾もその1つです。そういう意味では、三洋堂は本を基軸としながらも商売のあり方としてはもともと柔軟性のある会社でしたね。
これだけ出店して人材のほうは大丈夫だったのですか。
バブルの頃で年々人材の確保が先細りになってきて、でも出店はする。そうすると出店はしても人はいないわけですから、既存店から抜くだけです。補充はなし。会社も若かったし我々も若かったからがんばれた。
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| 上棟式(中津川) |
ペガサス・アメリカセミナーにて(一とまさこ) |
でもそれでは先がないと、大卒の大量採用になった。
というか本当に人が足りなくなってきた。従来の採用方法では数人しか採用できなくなってきていた。採用媒体を使った採用方法についてリクルートが営業をかけてきていた。でもすごく高かったんです。それまでの採用費は大学に求人票を送るだけですからほとんど経費はゼロです。それで、その時まさ子専務が、「三好君に全部まかせるからやってみてよ」って言われて。見積りで2000万円でした。あとで調べたら当時の経常利益が1479万円でした。ぞっとしました。1年間の採用活動で、結果がでるのが来年の4月。三好君でだめなら誰がやってもダメだろうから、失敗したら2000万円どぶに捨てたつもりになるからいいよって。ほんとうに怖かったです。
結果、32名内定をだして29名来てくれました。それが88年組。いま中堅幹部として、三洋堂の実務実行を支えてくれているメンバーです。当時の社員数が60名で、一挙に29名採用したわけですから、それもまた無茶だったような気もします。今の採用方法の原型はすべてここでつくりました。リクルートの担当の井上さんに、本当に熱心に教えていただいた。初めて本格的な会社説明会を開催するときには、つきっきりで教えてくださった。
そういった方々の応援があって、三洋堂は採用に限らず、このあともどんどん自前でノウハウを蓄積していけたのではないかと思います。自分ひとりで大きくなってきたわけでは決してない。一社長、まさ子専務からことあるごとに、そんなお話もお聞きしました。若い集団だっただけに、増長することを、心から心配されていたようです。
日本ではじめてレコードレンタル店が東京に開店したのは1980年であった。その後、たった1年で全国に1000店が誕生した。一方、ビデオレンタル店も全国に広がっていき、レンタルという新しい業態は徐々に市民権を獲得していった。
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