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【美濃金山城】気軽に本格山城めぐり②

2021年5月17日 投稿

【三洋堂の勢力範囲に関する一考察】

中津川店のロウランです。

三洋堂書店は東海地方に根差した書店なわけですが、ふと気付いてしまいました。三洋堂の出店地域と織田信長の勢力範囲は一致しているのでは? と。

永禄10年の織田氏の勢力範囲は主に尾張から西三河、美濃、そして東近江。
三洋堂の半分以上のお店はこの範囲内にあるのです。
名古屋から美濃へ進出していったのも類似点と言えます。(言っておいてなんですがおこがましいですね)

さて、そんな無理やり気味な導入をかましておいてご紹介するのはもちろん織田信長――の信頼していた部下である森可成に所縁のお城です。

【美濃金山城とは?】

さて、今回訪れたのは岐阜県可児市にある美濃金山城。可児市には10もの山城跡が残されており、『山城のまち可児市』と銘打っていて観光の一つの目玉として認知されています。そして、美濃金山城は国史跡、および続日本百名城に認定されています。

美濃金山城は織田信長からの信望も厚かった森一族の所縁のお城です。
1565年に森可成(もりよしなり)が信長から与えられて以来、破却される1601年まで森氏が城主としてここ金山の町を治めました。森可成は有名な森蘭丸の父君です。
元々の城主は斎藤大納言妙春という人物で、彼が後に美濃金山城となる烏峰城を築きました。そして、同じ可児市に残る久々利城の久々利氏(土岐悪五郎といわれています)に招待された際に暗殺されました。そこから信長の勢力下になり、森可成へと与えられたというわけです。

金山の町(現兼山)は木曽川の水運によって栄えた街で、その当時の様子を描いた絵も残されています。
現代人にはピンときませんが、自動車や鉄道が登場する以前の日本においては船による物流が多くを占めていたのです。中でも木曽川をはじめとする大きな河川は上流と下流、そしてその間の街道を結ぶ大動脈でした。
その湊のひとつとしてここ金山の地は栄えていたのです。当時の様子を表した絵図ものちに紹介する可児市戦国山城ミュージアムにて展示されていました。絵を見るとかなり栄えていたようです。(ごめんなさい、写真はありません)

【登城レポート】

《出発~山城ミュージアム》

3月某日の平日、車で中津川市から向かいました。
恵那ICから中央道を西へ。
土岐JCTで東海環状自動車道に乗り換えて可児方面へ進み、可児御嵩ICで一般道へ。中津川市から休憩含め1時間ちょっとで到着しました。
ちょっと遠回りですが国道19号経由、国道21号を通る国道縛りルートでも二時間はかからないはずです。

まず訪れたのは『可児市戦国山城ミュージアム』。平成30年6月にリニューアルオープンしたということで、中は非常に綺麗でした。どうやら元は小学校だったようですがその面影はやたら急な階段以外には残っていません。
中には美濃金山城のジオラマが展示されていて、さらには城主であった森氏に関する逸話などが丁寧に展示されていました。
また、江戸時代の絵巻も展示されていて、当時は実在の人物を登場させることが許されなかったために名前を変えて登場させるということをしているといったような解説もありました。個人的にはかなり意外な展示でした。なかなかに興味深かったです。

戦国山城ミュージアムの隣の可児市観光交流館にもお邪魔しました。入ると赤い甲冑を来た足軽がお出迎えをしてくれます。
そのお隣には続日本百名城に認定された際の認定証が掲示されていました。

ほかにも甲冑の並んだコーナーがあり、さらにはお城グッズが売っているのでお土産はここで買うのが良いでしょう。私もここでいくつか購入しました。ちなみにお城印はここの事務所の前で押すことができます。

《美濃金山城へ》

そして、そこから車で移動し、美濃金山城跡のある『蘭丸ふる里の森』へと向かいました。
数百メートルなので歩いても行けますが、駐車場は城跡周辺の方が充実しているので、訪れる際にはこちらに駐車されることをお勧めします。

そんなつもりは全くなかったのですが、ちょうど桜が見ごろでハチャメチャに綺麗でした。
本旨からはズレるので割愛しますが代わりに写真だけ貼っておきますね。

さて、車を降りていざ登城。
まずは登城口を示す大きな看板を見ながら登っていきます。
ここがいわば大手道で、美濃金山城の正面、正規の入り口ということになります。

途中、桜の絨毯を見下ろしながらひたすら坂道を登っていきます。
坂道の距離が長いので苗木城(登城レポートはコチラ)より大変に感じました。道はそれなりに整備されています。遠くに見えた展望台から景色を眺めている人影が見えました。

三の丸を通り、二の丸、そして西と南の腰曲輪へ。1601年に破城されているのですが、その痕跡が残されています。縄張りは初心者の私でもわかるくらいには残されていて、枡形虎口のほかにも食い違い虎口らしき場所などが残っています。こういう構造物が残っていると嬉しくなります。

城の遺構の中でも私が特に好きなのが、『虎口』です。
ちゃんとした説明は是非お城の解説本を読んでいただきたいですが、簡単に言えば「入口」のことです。
中でもこの記事で紹介した虎口は防衛のための工夫がされたものです。

城に攻め寄せた兵たちは敵の大将がいるでろう本丸を目指していくわけですが、その際にこの虎口を通ることになります。

そこで、防衛側が効果的に攻撃を加えることができるようにあえて設置されているのが桝形虎口や喰い違い虎口などの施設です。美濃金山城の遺構でいえばこんな感じです。

城跡を満喫した後は公園内の散策路を歩きました。
風情のある路になっているので公園内を歩くだけでも楽しいです。

【さいごに】

以上、美濃金山城のレポートでした。
美濃金山城は以前ご紹介した苗木城に比べると森の中にあるので城全体を見下ろす、というようなことはできませんでした。石垣の規模も大きいわけではありません。しかし、石垣をしっかり設置し始めたのは戦国時代も終わりになってから。その昔はほとんどが土塁などで作られたお城だったわけです。
石垣はわかりやすい遺構なので私のような初心者でも見て気付くことができますが、土塁や土橋は難しいだろうと思っていました。
山城を巡っていくにあたって、私にとっては苗木城からのよいステップアップになりました。

また、本文に載せてはいませんが、パンフレットの類の出来もなかなかよいのでぜひ見てほしいです。各城主の家紋があしらってあったりとファイリングしておく価値のあるいいものです。

ちなみに『イクササイズ』という催しも行われています。武士の格好をしてお城を登るという、戦とエクササイズを掛けたイベントのようです。武装をして城を登るということは美濃金山城を攻めるということなのか? けっこう面白そうです。

今回の美濃金山城、天守はありませんが、山城らしい縄張りが残っていて見ごたえのあるお城でした。一口に城跡といってもその性格は様々です。お城のガイドブックを見て、自分にあったお城を探してみてはいかがでしょうか。

美濃金山城は城好きでなくとも景色が楽しめます。あんまりお城に興味がない方とのお出かけにも最適です。散策路は歩きにくいところもあるので動きやすい靴で。夏場は虫よけも忘れずご準備ください。

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書いた人

中津川店 ロウラン

 

普段はラノベやプラモなどを担当しています。

 

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