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【最終話】『幸せを運ぶスープ』第6話

2025年7月4日 投稿

6話

 遠ざかっていくハイヤーへ向けて、深々と頭を下げて見送る。次第に小さくなっていくエンジン音とは反比例して、この上ない喜びが猛スピードで追いついてきた。
「和臣さん──本当に、ありがとうございました」
 本人にはもう届かないのに、そんな本音が思わず漏れる。

 やがてハイヤーが完全に見えなくなったところで、自分のデスクへ戻ろうと社屋の方を振り返る。すると──満面の笑みを浮かべた社長が、僕のもとへ勢いよく駆け寄ってきた。
「お手柄だよ青野君! いやぁ、何とお礼を言ったらいいか──これで我が社の未来も安泰だ!」
 そう言って、僕の両手を強く握りしめる。その力強さが肌を通して伝わり、僕の喜びもさらに増大していく気がした。
「お礼だなんて全然! 全ては和臣さ──木村常務の計らいです」
 僕は謙遜しながらも、口元が緩むのを抑えきれなかった。
「ところで……どんな営業活動をしたらトイ・ドリームに辿り着くんだ? 私も長く社長をしているが、あんな大企業とは繋がりを持てなかったのに……」
「まぁ──色々あったんです。それより社長、これでウチのおもちゃがたくさんの子供達に届きますね!」
 僕は曖昧に言葉を濁して、あえて説明するのをやめた。
 やるせない日常から突如として派生した、奇跡のような出来事。駅での颯太君との出会いから、和臣さん率いるトイ・ドリームとの契約に至るまでの物語は、あまりにもドラマチックだった。情報が多すぎて、とてもこの場で語れる量ではない。
「あぁ、そうだな。これからもよろしく頼むよ、青野君!」
「はい、もちろんです!」
 破顔の笑みを浮かべる社長と、僕は再び力強い握手を交わした。
 この契約をきっかけに、ウチの会社は間違いなく飛躍する。これまで以上に多くのおもちゃを、もっとたくさんの子供達へ届けられる。その笑顔を想像するだけで、胸の高鳴りが抑えきれなかった。

 充実感に溢れた余韻に浸りながら、意気揚々と自分のデスクに戻る。すると──あからさまに死んだ魚のような目をした上司が、こちらに近付いてきた。
「な、なぁ……青野……」
 普段の傲慢ごうまんさとはかけ離れた、まるで魂の抜けたような表情。
 正直、こうなることは少し予想していた。だけど──いざその展開が起こると、思わずニヤけが漏れそうになる。顔の筋肉にグッと力を込めて、平常心が崩れるのを我慢しながら振り返った。
「何でしょうか?」
 できる限り平然を装って答える。
「その……昨日はごめんな? 俺が悪かったよ、あはは……」
 引きつった笑顔を浮かべながら、乾いた笑い声を漏らす上司。普段から僕に対して厳しい言動を繰り返していたせいか、どんな態度で接したらいいか分からないといった雰囲気だ。
 まぁ、僕もやり返したいわけではないから、あえて爽やかに涼しい口調で返事をしてみる。
「そんなの大丈夫ですよ! 全然気にしていませんから、平気です」
「ほ、本当か? よかったぁ~……」
 和臣さんの言葉がよっぽど響いたのだろう、こんなに力の無い上司は初めて見た。とぼとぼと僕のもとから離れていく背中を見て、これで少しはパワハラ気質が直るだろうと確信した。

   *

「ふぅ~、なんだか不思議な一日だったなぁ」
 仕事を終え、幸せに満ちた溜め息を吐きながら上機嫌に帰り道を歩く。街を彩るクリスマスのイルミネーションが、今日の僕の心情を表すかのように輝いて見える。この二日間はものすごく濃密だった。
 こんなにも清々しく、全てが上手くいった日は他に無い。ただの平社員だった僕が、一気に会社のヒーローにまでのし上がった。現実かどうかを疑うほど、夢のようなひと時だった。

 ルンルン気分で会社の最寄り駅に到着する。そして、僕は再びあの場所へ足を運んだ。
「たしか、この辺りに颯太君がいたんだよなぁ──」
 そう呟いて、サラリーマン達が足早に行き交う雑踏の中で立ち止まる。昨日、ここで迷子になっていた颯太君を見つけた。いや──見つけたというより、彼と出会ったと言うべきか。いずれにしても、幸運な巡り合わせというのは間違いない。
 そんな奇跡を運んでくれた”きっかけ”へもう一度会いに、いつものコンビニに立ち寄った。

[新登場! 甘さたっぷりコーンスープ]
 壁に貼り出されたポップを横目に、陳列棚から一本取り出す。昨日買った物は結局颯太君にあげてしまったから、今日は噛みしめて味わおう。
 プルタブに指をかけ、勢いよく開封。缶から立ち上る白い湯気が、凍えるような冬の寒さを際立たせている。コーンの甘い香りを楽しみながら、ゆっくりと口へ運んだ。
「おぉ~うめぇ~……」
 優しい甘さと心地良い温かさが、全身に沁みわたっていく。
 たった一本の飲み物が、人生をちょっとだけ変えてくれた。颯太君と出会う直前までは会社を辞めてやろうかと呟いていたくらいだったのに、不思議な話である。仕事やおもちゃに対する情熱が、他人の心に届いたのは初めてだった。今日の出来事だけで、しばらくは仕事を頑張れそうな気がした。

 いつも通り、何も起きずに過ぎ去ると思っていたクリスマス。だけど今年は、今までの人生の中で最高のプレゼントを貰った。この温かい気持ちを胸に、明日からも前向きに進んでいこうと思う。
 幸せを運んでくれた、このコーンスープに感謝だ。

-完-

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