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紙上健吾さん小説紹介「小説の小説」

2026年1月16日 投稿
@kengo_book

小説なのに著者が一文字も書いていない小説!? その他、ルビが暴走するように語り出したりと……この小説は、「小説」の概念をひっくり返してくれる一冊です📚 『小説の小説』 #本の紹介 #おすすめの本 #小説 #小説紹介 #PR

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小説の小説

著者名
似鳥鶏/著
出版社名
KADOKAWA
税込価格
946円

【スタッフのつぶやき】


●改名

けんご さんが、活動名を 紙上健吾 さんに変更されました。
変化と挑戦、一念発起の年にされるとのこと。今年も、書店で自分からは決して手に取らないであろう類の本の紹介を楽しみにお待ちしております。



●ビジーフォーと僕

さて、今月の作品は『小説の小説』、小説の約束事を利用したメタ小説、短編5編です。
けんごさんの紹介動画では、その中のひとつ『無小説』がメインです。
作者は一文字も書かず、『坊ちゃん』や『羅生門』などの青空文庫からの引用のみで構成した小説ということです。
まあ、一言で言うと
「本当に、そんなことが出来ちゃうんだ」
になるのですが、最後の方の暴走と畳みかけはもう笑うしかありません。

ただ、自分側になのですが問題がありました。
子供の頃見たビジーフォーのアメリカのアーティストモノマネの様なもので、元ネタが分からないとあまり楽しめないのです。「ビジーフォー」でググると、サジェスチョンに「ものまね わからない」と出てきますので、多くの人が同様に思っているようですね。

いや、著者の似鳥鶏さんのこの発明自体は素晴らしく、0→1 案件だとは思うのですが、
だからこそ、イノベーター理論におけるキャズムを超えてアーリーマジョリティに届けるにはパッケージ化が必要なわけです。
パソコンが大きく広がるには、キーボードとマウスが必要でしたし、爆発的な普及にはインターネットがターボとして必要でした。
車の助手席の前の小物入れも「グローブボックス」といいますね。あれは、初期の車がエンジン始動時に車の前に回ってレバーを回してエンジン点火後の回転を助けなけらばならなかったからと聞きました。最初は電力によるモーターがなかったから手動だったわけですね。
だからこその「助手」席だそうです。本当に助手が必要だったのです。その後はオートマになってギヤチェンジも必要なくなりエンストしている車を見かけることも殆どなくなりました。「本当のドライブの楽しみがなくなった」という気持ちは分からないでもありませんが、生活必需品になったからこそ圧倒的な普及につながってるとも言えます。

話を戻すと、
数か月前の『走っている場合ではないメロス』の場合も事前に『走れメロス』を読み返しました。といっても、最悪知っとくのはあらすじだけでもよく、そこからどれだけズレるかを見ればよかったのです。
ところが今回の『無小説』は元ネタも多岐にわたり読み切れないし、『無小説』の話の筋の方がオリジナルです。そのため、話の展開を飲込みつつ、元ネタが分かりにくい古典的名作小説とのズレを楽しむという教養が要ります。
そうしてみると、『もし文豪たちがカップ焼きそばの作り方を書いたら』は大衆向けにとてもバランスがよかったと感じます。カップ焼きそばの作り方はみんな分かるし、そこに書く作家風味を楽しめばよいのですから。私は村上春樹は『ノルウェイの森』しか読んだことはありませんし、面白くなかったので、「やれやれ」という口癖もこの本で知りましたが、なんとなくの雰囲気は楽しめました。


●1→100の風

0→1 の次の1→100に向けたステップとしては、
たとえば、桃太郎や西遊記を『吾輩は猫である』や『坊ちゃん』のできるだけ有名な文の引用で構成するとか、
なんだったら、村上春樹風『桃太郎』を書いてほしいです。



なお、・・・。
なおですね。
本当なら、村上春樹が桃太郎を書いたら、という文をでっち上げて締めようと思ったのですが、
いやな予感がしてググりました。最近は勝手にAIモードで答えてくれますよね。
「村上春樹が『桃太郎』を書いたら」と打つと数秒で出ました。


→もし村上春樹が「桃太郎」を執筆したら、おそらくこのような物語になります。
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完璧な桃と、必然としての川上からの漂流

僕(桃太郎)がその巨大な桃から這い出したとき、世界はひどく静まりかえっていた。台所のテーブルの上には、半分に割られた桃と、よく研がれたステンレスの包丁が置かれていた。老いた夫婦は、まるで長い間そこにあるのが当たり前だった古い家具のように、黙って僕を見つめていた。
「君が桃の中から出てきたんだね」と老人は言った。
「おそらくそうだと思います」と僕は答えた。

(中略)

結末:そして僕は日常へ戻る

僕らはそれなりに激しい戦いを経て(それは具体的な殴り合いというよりは、意識の深い層での衝突だった)、いくつかの宝物を手に入れた。しかし、村に帰っても、以前と同じ日常が待っているわけではなかった。
老夫婦はすでに姿を消し、家の中には埃だけが積もっていた。僕は一人で古いレコードをかけ、スパゲッティを茹でた。

「やれやれ」と僕はつぶやいた。
きびだんごの味は、もう思い出せなかった。
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なんだよそれ、面白いじゃないですか。
自分がやったらこの3%くらいの出来で10時間はかかる。
「そして僕は日常へ戻る」じゃないですよ。僕は途方に暮れるよ。
実際、100%に近づけようと300時間費やしたところで、それはまったくのところ、労多くして得るところの少ない作業ということに、おそらくなる。
もう完全にやる気をなくした僕は「やれやれ」とつぶやいてノートPCを閉じた。
担当編集さんへのスラック連絡は来週月曜にすればいい。
もっとも状況を考えあわせてみて、本部は土日は休みのはずだと私が便宜的に決めただけの話である。
担当編集さんの名前は、もう思い出せなかった。


(スタッフ:やれやれ酒造)

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