@kengo_book 〝見られたがり〟なあなた。この本と〝目が〟合ってしまいましたね。 もう、後戻りはできない。 一、目を閉じる。 二、自宅の玄関に立つ自分を想像する。 三、想像のなかで、家中の窓を開けて回る。 四、どれかひとつの窓の外を覗く。 五、笑顔でこちらを見つめる、男の存在を確認する。 「見える」というのは、幸せなことです。 恵まれていることです。 一方で、こと限定的な現象においては、危険を伴うことでもあるのかもしれません。 『口に関するアンケート』と同じ大きさで刊行された、「目」にまつわる不可解なエピソード。 『目が』背筋 著 出版社:ポプラ社 #本の紹介 #おすすめの本 #小説 #小説紹介
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目が
- 著者名
- 背筋/〔著〕
- 出版社名
- ポプラ社
- 税込価格
- 715円
【スタッフのつぶやき】
しまった。ホラーは嫌いだったんだ、と読み終わってから思い出しました。
ダイレクトな「ゾンビ」とか「モンスター」とかが出ない分、じんわりと怖いので、数日視線が気になりそうです。早く忘れます。
なんていうか、ホラーとコーラとマックは、半年か1年して忘れたころに食べて読んで観て後悔して、を繰り返してる気がします。
もう「教師生活25年」的な感じですが、会社員やってると、
「で、売上にどうつながるの?」てどこかで常に言われてる気がするんです。下手したら作中での目や視線と同じかそれ以上に。
もうね。結局、一番怖いのは人間、とかいう安直な言葉が出てきそうなくらい。ただ得体の知れない怖さだと、会社員は我慢できない体になってしまってるんです。
まるで、クロちゃんが、アイマスクを取っていいと指示されないと自分では取れない体になっている様なものです。
(『水曜日のダウンタウン』で、クロちゃんと伝書鳩のどっちが目的地(元の巣箱)に早く帰れるか的な説のときに、クロちゃんが言ってました。)
我々は資本主義の世界にいるので、分かりにくくなっていますが、それはそれで、一つの宗教と言ってもいいかもしれません。共産主義や社会主義は宗教は麻薬だ的なことを言っていましたが、(よく例にあげて申し訳ありませんが)『サピエンス全史』でもユヴァル・ノア・ハラリが共産主義も資本主義も民族も会社もお金も宗教だ的なことを言ってました。たしか。
話はそれましたが、素直に作品自体を楽しめなくて、何らかの言い訳消費になってしまうのは一種の職業病か宗教的行動かもしれないなとあらためて思ったのです。
そんな訳で、なんか頭をリセットしたくて、先日急に思い立って一人で海に行ってきました。
数時間ほどいただけですが、肩が日焼けで1週間ほどワイシャツが擦れるのも痛く、かなり後悔しました。
泳ぐでもなく波に乗るでもなく砂浜で日に焼けるでもなく、波打ち際で温泉につかる様にひたって水平線を眺めていると、無意味な時間に我慢ができません。仕方ないのできれいな小石を拾い集め続けました。
そうしていると、周りではご家族で楽しそうに遊んでいる声も聞こえてきます。ふと気が付くと、近くで子供が
「ねえ、じいじ! じいじ! そんなに浮き輪に乗ったらつぶれちゃうよ!」
と言っています。
振り返ってみると、おじいさんであろう方が浮き輪に乗ったまま浅瀬から浜辺に向かって進み、完全に砂浜に乗り上げています。そうはいっても浮き輪はそんなに弱い作りにも見えないのでお孫さんの心配しすぎな気もしますが、おじいさんはお孫さんに反応するでもなく何か答えるわけでもなく砂浜に進みます。
「大人げないな」
と一瞬思ったのですが、
大人一人で来て数時間小石を集めてる奴に言われたくはないですわね。
しかも、きれいな石だと思って集めたのに、数時間後乾いた小石を見ていると濡れていた時の様な半透明感がなくなり、どうでもよくなってすべて海に投げました。
「いや、これは、今・ここに集中する、マインドフルネス的なことなのだ。なんだったら「禅」的な、デフォルトモードネットワーク的な脳の活性化活動なのだ。」
と言ったところで、そういう言い訳をしないと落ち着かない。
あー、もう、やだやだ、そんな落ち着かない自分が怖い怖い。
もひとつおまけに、「このへんで、熱いお茶が一杯怖い」。
おあとがよろしいようで。
(スタッフ:杜甫甫饅頭酒造)
