昭和39年8月の作品なのに色褪せることがない
書かれたのは昭和39年。実に50年以上前の作品なのです。
それなのに全く色褪せた感じも古臭い感じもしない。
それどころか、まるで【現在】を表すかのような既視感。
それもそのはずで、この作品の背景には『人類のほとんどが免疫性をもっていない新種のウイルス』によって人類が滅亡していく、という舞台を持っています。
これは、もしかして、予言というものでは?
と、ここまで考えてそんなことは当然なく、作者がここに書いているのは【人間の理性】について。
戦争という大きな争いが終わった後も、人が人を脅かしていく世界は変わらず続く。
この作品に古さが感じられないのは、環境が変わっていったところで人の持つ理性、感情が今も昔も大きな変化を持たないからなのではないでしょうか。
【人間の理性】とは
【こんなことはあり得ない!】
作中の教授の言葉にドキッ。
偶然にしろ、人の思惑によってにしろ、こんなことはあり得ない!というものは存在しない。
もしかしたらこの小説が書かれた当初は、ウイルスが全人類に拡散されるなんてあり得ない、と思われていたのかもしれませんね。でも度合いは違うにしろ起きてしまった…あり得ない!なんてことは、あり得ないのだと思い知らされます。
この台詞が入った教授の“講義”はなんと17Pに渡って書かれております。
この講義全文に込められた言葉が私には作者が私たちに問いかけてくるメッセージに思えてならないのです。
50年前に語り掛けられた言葉が胸を刺すのはウイルスという環境だけでなく、その環境下にいる人そのものも今に当てはまっているからではないのだろうか、とも思えてきます。
どんな終わり方をするかが、問題だ(本文より)
あとがきも含めて角川版復活の日をすべて読み終わったら、ぜひ表紙を眺めてみてください。
作者があとがきで残した言葉を表したものが、この表紙なのではないでしょうか。
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復活の日
- 著者名
- 小松左京/〔著〕
- 出版社名
- KADOKAWA
- 税込価格
- 836円
書いた人:まめゆた(長良店)
全鳥類と中井英夫をこよなく愛する某店店長。お気に入りは『虚無への供物』
高校生の頃、中井英夫のとある一文「TANTUS AMOR RADICORUM」を机に書いて怒られる。
ペットはセキセイインコとマメルリハ。流血しようともちょっかい出さずにはいられない。