12話
月刊配信ブライトから週刊少年ネクストへの復帰、僕の漫画家史上最大のヒット、そしてアニメ化。[昨日の僕を、君が殺して]という作品は、今まで見たことのない景色を数えきれないほど僕に見せてくれた。
連載が始まってからさらに数年の時が流れ、物語はいよいよ最終章──クライマックスの瞬間を迎えようとしていた。アニメの視聴率や単行本の売り上げも、今や他の追随を許さないほど勢いに乗っている。世間の期待やネット上の結末予想は、これ以上ないほどに熱を帯びて膨れ上がっていた。
しかし……僕のペンは、原稿の上でピタリと止まったまま動かずにいた。ネームの段階からずっと、胸を押し潰すような激しい葛藤が、僕の心を締め付けていたからだ。
「柊太……柊太は何で、こんな結末を最期に遺したんだ……」
そう呟くと自然と溜め息が零れ、原稿の前でガックリと項垂れる。
アイデアノートの一番後ろのページ。そこには、[主人公が完全に消滅し、世界が平和となってヒロインが救われる]という結末が記されていた。美しくありながら、それでいて切ない──文句の付けようがない王道の自己犠牲エンド。
漫画家として、様々な思考が頭の中を駆け巡る。商業的なウケや作品としての美学、読者に与える強烈な感動を考えれば──これが最適解であることは重々分かっていた。柊太のプロット通りに原稿を描き上げれば、間違いなく読者は涙を流し、今後もずっと語り継がれるような作品となるだろう。そうさせる自信もあった。
だけど……僕の胸の奥で、どうしても納得がいかないもう一人の僕が激しく叫んでいた。
「こんなの……主人公が全然報われないじゃないか」
世界を救い、愛するヒロインの未来を守ったその先で……主人公だけが誰の記憶からも消え去り、暗闇の中で不幸になって消えていく。あまりにも切なく儚い主人公の運命に、僕はどうしても亡き相棒の影を重ねてしまっていた。
若くしてこの世を去り、自分が生み出したアイデアが日本中を熱狂させる瞬間を見届けることすらできなかった柊太。物語の中にまで、そんな悲しい生き様を表現したくなかった。柊太がこの世に遺した無念を、僕自身が肯定してしまうような気がして怖くなった。美しく散っていく結末なんて……生き残った側が納得する為のただの綺麗事に過ぎないじゃないか。
「違う……僕が漫画で描きたかったのは、お涙頂戴の理想郷なんかじゃない」
かっこ悪くたっていい。泥臭くあがいたっていい。どれだけ傷ついてボロボロになろうと、どれだけ不器用で息苦しくても……生きて誰かの隣に存在し続けることにこそ、本当の価値があるのではないのか。
作中の人々が主人公の存在を忘れてしまったとしても、僕だけは違う。この物語の世界線と違って、僕は柊太と過ごした青く泥臭い日々を絶対に忘れない。忘れるわけがない。どれだけ時が流れても、僕の心の中にはずっと柊太が生きているのだから。
だからこそ、僕は決めた。美しい死で締めくくる結末ではなく──もっと泥臭く、生に執着する結末を描く。主人公がどれだけ泥を這ってでも、生きて生きて生き抜いて、最後まで足掻く。どれだけかっこ悪くても、最期にはヒロインの手を強く握りしめる未来を、僕のペンで描く。
そして──柊太の考えた最高のストーリーを、僕自身の力で超えていく。
この作品がどれだけ社会現象と呼ばれようと、どんなに影響力のある存在になろうと──その根底にあるのは、いつだって柊太の漫画に対する熱い思いだ。それだけは、今までもこれからも、決して変わることはない。
だからこそ、僕は痛感していた。柊太が創り上げたプロットを、いつまでもなぞるだけではダメなのだと。自分の頭で考え、漫画としての面白さとは何かを悩み抜き、柊太という圧倒的な才能を僕自身の力で超える。そうしなければ……プロの漫画家として、僕にこの先の未来なんて存在しない。
「見ていてくれ、柊太。この最高の結末を、僕がもっと最高にして描いてみせる」
胸の中の迷いは、完全に消え去っていた。僕は固く握りしめたペンに力を込め、再び原稿へと向かい直した。
