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『その声はシンユウ』第六話

2025年10月17日 投稿

※R15作品です。15歳未満の方はご遠慮ください

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第六話………初対面の小さな恋

 サユミはスズリと共に高校を卒業した後、県内の電車を製造している日本車輌の下請け会社の事務員に就職した。毎日、同じことの繰り返しの仕事と複雑な人間関係に疲労感を感じながらも、必死に働いた。すべては、革命を起こして生きていくための資金を稼ぐために。

 一方でスズリは、服飾の専門学校で服作りのノウハウを身につけることに専念している。サユミと約束した刺繍の夢も諦めてはいない。ただ、自分の振り幅を広げたいと思ったからだ。

*  *  *

 サユミも写真家の夢を諦めてはいない。週末になるとフィルムカメラで撮った写真を加工したものをインスタグラムに投稿している。
 サユミの写真の被写体は主にさまざまな花と人だった。インスタグラム用に顔は隠している。
 芝桜の絨毯の中で花冠を頭に乗せて背を向けて立っている白いガーリーなワンピースを着た女の子。
 快晴な青空の下、ひまわり畑の中で手を繋いで顔を見合わせる逆光で映るカップル。
 モデルとなる人物は知り合いや街で声をかけた人。
 頼み込んで契約が成立すると、少しばかりのモデル料を払った。
 そんなごく日常的でありながらもサユミの写真が注目されるのはパステルカラーの色使いや背景をぼかす技法『ボケ』をたくみに散らしたアンニュイな写真が魅力的だからだ。  
 ちなみにサユミの写真は全てカラーだ。     
 そういった写真の雰囲気は、初めての一人旅で行った東京で開催されていたある写真家の個展での経験が影響を受けていた。
 それはサユミの初めての小さな恋の始まりでもあった。

*  *  *

 『栗村奏多(くりむらかなた)』。それがサユミの写真の持ち味を変えた個展を開いた写真家だった。
 栗村の写真は現在のサユミの写真に似たアンニュイな雰囲気が印象的だ。ちなみに画家で表すと印象派のモネの作品を思い起こさせる。
 サユミが最初に惹かれたのは快晴な空の下に一面、絨毯のように咲いているピンクのコスモスの写真だ。儚げでどこかドラマチック。そして、写真がモノクロという点も人を惹きつけるミステリアスな雰囲気をかもし出している。
 サユミはその写真を前にして動けなかった。なぜか足がガクガクと震えた。  
 ふと、横を見るとこの写真を撮った男が微笑んで立っていた。サユミは驚きのあまりに尻餅をついてしまった。
 男は肩にかかるくらいの栗色の髪を一つに束ねている。写真展の関係者なのだろうか。
 服装はダークブラウンのスーツでビシッと決めている。紺とカフェオレ色の斜めのストラップのネクタイが白のワイシャツで引き立っている。靴はアールグレイを彷彿させる色のウィングチップだ。
「ごめんね。そんなに驚かせた?」
 男は申し訳なさそうな顔をしてサユミに手を差し出す。
「あっ、いや。大丈夫です。ちょっとビックリしただけなんで気にしないでください」
「それならいいけど。あ、僕はこの写真展のフォトグラファーの栗村奏多です。よろしくね」
「私は須山サユミと申します。まだ写真に関しては素人ですが、趣味で写真を撮っています」
「へぇー、君も写真を撮ってるんだ。ちなみにその写真を今も持ってる?」
「はい。これ、学生時代に撮った古い写真ですが」
 サユミはクスキと出会ったあの高校時代に撮ったエキナセアの写真を見せた。
 思い入れのあるこの写真を見せることはサユミにとって親しくなりたい相手にのみ見せる。
「おぉ。なるほどね。こういう写真を撮るのが好きなんだね。君の良さがにじみ出ているよ」
「そ、そんな照れちゃいます」
 そう言ってサユミが紅色に染めた頬を両手で隠すと栗村はサユミの頭に手を乗せた。
 その行為に慣れてないサユミは思わずのけぞってしまった。
「あ、ごめん。僕が変なことしたね、悪かった」
 申し訳なさそうに両手を合わせる栗村に対して、サユミは自分が本気の恋をしたことがないことを自覚した。
「すみません」
 サユミが慌てて頭を下げて立ち去ろうとすると横から栗村が声をかけた。
「もしよかったら、僕が案内するよ。僕の写真では勉強にならないかもしれないけど、写真に興味があるならぜひ、僕の写真の魅力を知ってほしい」
 サユミは思わず目を輝かせた。栗村のことをもっと知りたいと思った。
 そして二つ返事でサユミは栗村の解説を聞きながら彼の写真を見て回った。

*  *  *

 サユミと栗村はギャラリーを出てすぐにあるおしゃれなカフェに入ってお茶を楽しんでいた。
 誘ったのは栗村からではなく、サユミの方からだった。
 今までのサユミだったらこんなふうに男性に対して積極的になれない。ここまでサユミの心を奮い立たせたのは、今までの孤独の埋め合わせだと、内心サユミは思った。
「今日は本当にありがとうございました」
「いいよ、そんな丁寧にお礼を言わなくても。こちらこそ、僕の話に付き合ってくれてありがとうございます!」
 栗村はとびっきりの笑顔で礼を言った。
「私、嬉しかったんです。本物のフォトグラファーさんの写真を生で見れて」
「まだまだ未熟者だけどね」
 栗村は苦笑いをしながらそう言った。
「ちなみに栗村さんはどこかの学校で写真について学んだんですか?」
「うん、そうだよ。僕は名古屋出身だから名古屋の写真の専門学校で勉強して下積みを経てフリーのフォトグラファーになったんだ」
「すごいですね!私は高卒なんで、そういうのって憧れます。自分の信じた道にまっすぐ進める人に」

 栗村はサユミのその一言を聞いて複雑な表情を見せた。
「写真の専門学校生のときは、カラー写真がほとんどだったんだ。スタジオでの下積みの頃は学校では触れなかったことを経験できてやりがいがあった。
だけど、ものすごい多忙だったから体と心が追いつかなくなって、とうとう数日間、熱が出てスタジオを辞めた。その時、初めて挫折を味わった。想像以上に挫折の味は苦かった。苦すぎて甘いものを求めた。
 そこで僕は一旦、フォトグラファーの道を絶ったんだ。それで他に好きだった絵画の世界に飛び込もうと思ったんだよ。写真の経験を活かしてね。それで大型書店で絵画の本を探してる時に偶然出会ったのがこの雑誌だった。今でも宝物だよ」

 そう言って栗村はサユミに傷んだ写真の雑誌のあるページを開いて差し出した。
 そこには今の栗村の写真のようにモノクロの写真が幾つか載っている。
「この写真を撮った人が実は僕の通ってた専門の後輩だった。名前を見た時、ゾッとしたよ。だって、僕のことを慕ってた後輩に負けたんだよ?言葉にならなかった。
 でもさ、この後輩の隣に立ちたくて、学校やスタジオで習ったことや経験を活かしてフリーのフォトグラファーとしての今があるんだ」
「そうなんですね!でも、どうして後輩と同じモノクロに?」
 栗村はバツが悪い顔をして一度ためらったものの重い口を開いた。

「僕が熱を出している頃、うつになりかかったんだ。挫折の味はまずかったけど、それを活かせるのは自分の特権だと思ってね。後輩のあいつに劣らない自分だけのモノクロの写真を撮って個展を開くのが夢だった。個展を開いて『自分』を多くの人に知ってもらいたかった。
 でも、今回の個展はギャラリーを経営している高校時代の友達に無理言ってやらせてもらったけどね」
「そうだったんですか。挫折って人を変えるんですね。私も挫折を味わいました。私にとって挫折は大量のワサビのような辛さでした」
「ワサビって。あのつーんとくる感じ?」
「そうです。涙が自分の意識とは逆に無意識のうちに溢れてくる。そして、辛すぎて言葉にならないくらい耐えきれずつらかった。でも、いろんな人が辛さをやわらいでくれるものを与えてくれた。それが栗村さんのこの雑誌のようなものです」
「なるほどね。須山さんだっけ?」
「はい」
「須山さんもその大量のワサビにあふれた涙でにじんだような世界観を写真で表現したらどうかな?モノクロかカラーか。どちらを選ぶかは君次第だけど」

 その栗村のひと言で今のサユミの写真のスタイルがある。
 栗村との出会いは似た痛みを味わった者同士の初めての小さな恋だった。

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