ご挨拶
お初にお目に掛かります。藤堂裕と申します。
「信長を殺した男」を秋田書店「別冊ヤングチャンピオン」で、「BORDER66」を集英社「グランドジャンプ」にて連載致しております。
この度、新章「信長を殺した男~日輪のデマルカシオン~」1巻の刊行に合わせコラムを寄稿させていただきました。
愛知に根ざした三洋堂書店さんで寄稿させていただけることに、織田信長や羽柴秀吉を描いてきた自分にとってとても縁深い土地なので、とても嬉しい気持ちでいっぱいです。
稚拙な文章ではありますが、どうか最後までお付き合いください。
信長を殺した男
今から5年前の2016年8月に今作『信長を殺した男』の連載が始まりました。
明智光秀の子孫と言われている明智憲三郎先生の原案「本能寺の変431年目の真実」を元に「本能寺の変の真実」を探るという壮大なテーマでした。
実は元々連載前、歴史に無知な自分がやっていくにはこの企画は荷が重いと感じ、断ろうと思っていたのです。
ですが、断ろうと思っていたそんな時期に高校時代熱狂したボート競技の大会が琵琶湖であるというので、ついでというのは申し訳ないのですが、近くにあった安土城跡に足を運んでみたのです。
兵どもが夢の跡。安土城跡は静かに朽ちておりました。なにもありません。山のような城跡。鬱蒼と木が生えており“これが信長の城か”と、当時は漠然と抱いていた信長の残虐性や想像を絶する城の規模に怖くなり雰囲気をただ味わって帰りました。足早に帰っていると安土城跡のすぐ側にあった博物館でなにやら「織田信長の家臣展」という催しが開催されているではありませんか。“これまたついでに”と博物館に入りました。
それがこの連載が始まる“きっかけ”だったのかもしれません。そこで出会ったのです。
当時あまり一般公開されてなかった唯一の肖像画・大徳寺所有「明智光秀像」に……。
鳥肌がたちました。
少々おつむが足りない自分は、“導かれている……?”と錯覚してしまいました。
そしてその絵をよく見てみるとたくさんのシワが書かれているではありませんか。これは明智憲三郎先生の“光秀67歳説!?”と再び錯覚してしまい、“ああ、これは僕が描かないといけない!”と思い、その勢いで1話目のネームを考えて提出しました。もちろんそれではうまくいかず何度かネームを直して、その後連載に繋がりました。
三洋堂書店さん
三洋堂書店さんには大変お世話になりました。
毎巻発売する度に大きなコーナーを作ってくださり展開していただきました。
さらに元々、漫画コーナー売り場にしか置かれていなかった『信長を殺した男』を初めて歴史書コーナーに展開していただき、その反響が元で全国の書店さんでも歴史書コーナーでの販売が広がっていったと聞いています。
さすが経済の信長、商売の秀吉のお膝元愛知が誇る三洋堂書店さんです。
完結巻である8巻発売の日のことは忘れられません。
twitterで三洋堂書店さんのそれぞれの店舗のコミック担当の皆様から「おつかれさまでした」のコメントとともにとても温かいメッセージをいただきました[1]。とても熱い気持ちになり、その日のことは言葉では尽くせません。
こうして、三洋堂書店さんやそこで購入してくださった読者様はじめ、本当に多くの方からの温かいご支援のおかげで『信長を殺した男~本能寺の変431年目の真実~』は全8巻で200万部を越える作品となりました(泣)。
本当に本当にありがとうございました!
そして始めた新章
明智光秀を描き切り、一時は筆を握れないくらい消耗した自分の中で、連載を終えてもなお心の奥底に沈殿し鈍色に光っている人物がいました。
羽柴秀吉です。
光秀だけでなく秀吉もまた『信長を殺した男』でした。
調べれば調べるほど一次資料では悪逆を尽くす秀吉。光秀のライバルとして描けば描くほど、その存在は大きくなり、自分も秀吉という男の虜になっていたのです。
この男は何者なんだろう。
なぜ、最底辺の身分から天下人へとのしあがれたのだろう。
なぜ、朝鮮出兵という戦国最大の侵略戦争を行っただろう。
自分はまだ描き足りていないのではないか、そして描かなければならないのでないか。
この豊臣秀吉というとてつもない人物の”光と闇”に潜ってみたい……!!
「信長を殺した男~日輪のデマルカシオン~」で、再び手探りですが秀吉の探求を始めたいと思います。
単行本1巻は10月20日に発売します!
どうか変わらぬご支援をよろしくお願い致します。
最後に
織田信長が桶狭間出陣の時に必勝祈願した熱田神宮、そんな縁起の良い神社の近くにある「三洋堂書店 新開橋店」で10月23日(土)に単行本1巻のサイン会が行われます。
新章必勝を祈り、そして無事開催されることを祈り、皆様にお会いできることを楽しみにしています!
2021年10月吉日
藤堂 裕