モデルのお茶屋の女将に人生を学んだ
オヤジと祇園の思い出話
亡くなったオヤジから何度も聞かされていた話がある。
太平洋戦争の終盤、オヤジに学徒出陣の赤紙が届いた。それはお国のために「命を捧げる」ということだ。誰が言い出したのか。気の置けぬ友人らと「死ぬ前に祇園でお茶屋遊びがしてみたい」という話になったという。みな「一見さんお断り」という慣習は知っていたらしい。学生の身分で伝手などあるはずもなく、若さの勢いに任せて祇園へ出掛けた。
紅い暖簾をくぐり「冥土の土産に」と事情を話した。ここで「そうどすか・・・出陣前に」、と迎えられれば人情話にでもなったろう。だが、それはかなわなかった。もっとも、時局の悪化から営業すら困難な時期で、学生に温情を施す余裕などなかったに違いない。
私は大学に入ると「いつかオヤジの〝仇?〟を・・・」と思いつつ、何度も京都へ遊びに出掛けた。京都が大好きになった。だが、祇園にはまったく縁がないまま四十年が経った。
お茶屋遊びを体験しよう
月刊「PHP」の編集長から小説連載の話を持ち掛けられた。即座に答えていた。「京都の祇園を舞台にしたいです」と提案すると、「それはいいね」という返事。だが、いざ書くとなると臆してしまった。花街の古い慣習としきたり。いくら「京都が好き」とはいえ余所者に過ぎない門外漢の私には恐れ多すぎる。
「まずはお茶屋遊びを体験せねば」と、版元の紹介で訪ねたのは祇園甲部「吉うた」さん。かの歌舞踊曲「祇園小唄」発祥の店として知られるお茶屋だ。前夜は眠れず、ガチガチに緊張して敷居を跨いだ。さて、取材である。 「祇園を舞台の小説を書くことになりまして、いろいろ教えていただけませんか」と女将さんに頼んだ。「よろしおすなぁ」という返事だけで、ことはいっこうに進まない。
「舞妓さんになるには、どんな苦労がありますか?」「中学を卒業したばかりの女の子がよく修業に耐えられますね」などと尋ねても、「そうどすなぁ」と微笑むだけで、具体的な答えは返ってこないのだ。
祇園行脚も数十回で原稿料も吹き飛ぶ
知りたければ、通い詰めるうちに自ずと理解していくもの。「粋」という生き方を尊ぶのが祇園だ。それを無粋にも、いきなり花街で働く人たちの裏話、本音を聞き出そうとしてしまったわけだ。それを後に知り赤面した。
それでも懲りずに祇園行脚も数十回。もちろん自腹だ。原稿料を遥かに超える花代がかかった。たぶん呆れられたに違いない。やがて女将さんが芸舞妓さんに「この方は作家さんで祇園の小説書かはるんやて。いろいろ教えてあげてな」と口添えしてくださるまでになった。こうしてようやく取材が動き出したのだった。
実は、『京都祇園もも吉庵のあまから帖』にはモデルがいる。取材でお世話になった「吉うた」の女将・高安美三子さんである。物語はすべてフィクションだが、その凜とした「人となり」に惚れこみ、主人公「もも吉」のモデルとして描かせていただけることになったのだ。
お茶屋が焼けても女将は前向き
取材を重ねて執筆・脱稿。1巻の出版日を待つ直前のことだった。祇園で火災があり、「吉うた」さんは貰い火で全焼。築100年の伝統的建築物だった。数日後、ご無事と聞き胸を撫でおろし、発売されたばかりの本を手にお見舞いに伺った。しかし、どう励ましたらいいか戸惑うばかり。すると開口一番。
「先代、先々代の着物もすべて焼けてしもうたけど、なんともあらしまへん。おおきに」
「え!? でも・・・・・・」
「火の出た日は、うちの七十九歳の誕生日どした。燃え盛る火を見ながら思うてました。これは、神様が燃やしてくださったんやと。人生は何度でもやり直せる、と人は言わはるけど、人は今まで培ったものをたくさん抱えているから、ゼロからのやり直しはできしまへん。そやから、神様が『全部燃やしてあげるさかい、ゼロから始めなさい』と、燃やしてくれはったんやろうと思うたんどす」
唖然とした。なんと気丈なことか。まさしくそこに、凛として背筋を伸ばす笑顔の主人公「もも吉」がいた。お見舞いに伺ったのに、反対に「生き方」を教えられ、さらにパワーまで頂戴した。
そんな「もも吉」の物語が好評で、シリーズの巻を重ねている。
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京都祇園もも吉庵のあまから帖
- 著者名
- 志賀内泰弘/著
- 出版社名
- PHP研究所
- 税込価格
- 770円
志賀内 泰弘 先生おすすめの1冊!
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舞妓さんちのまかないさん 1
- 著者名
- 小山愛子/著
- 出版社名
- 小学館
- 税込価格
- 715円
コロナ禍で祇園の街もすっかり閑散としています。
取材で何度もお目にかかった舞妓さんたちのことが心配でなりません。
このコミックには、舞妓さんたちの日常が見事に描かれており
辛い事があっても、気張っている舞妓さんの姿に元気づけられます。
疲れた時、心のビタミンになること請け合いです。
【プロフィール】
志賀内 泰弘(しがない やすひろ)
作家・小説家。
思いやりの深い世の中を目指す「プチ紳士・プチ淑女を探せ!」運動代表。
ご縁の大切さを後進に伝える「志賀内人脈塾」主宰。
中日新聞コラム「ほろほろ通信」を担当するほか、新聞・雑誌・Web・メルマガなど多くのメデイアで、思わず心が和むハートフルな「いい話」を日々発信中。
主な著書に『No.1トヨタのおもてなし レクサス星が丘の奇跡』、『翼がくれた心が熱くなるいい話』、『5分で涙が溢れて止まらない話 七転び八起きの人々』(以上PHP研究所)、『101人の、泣いて、笑って、たった一言物語。世の中捨てたもんじゃない!』(ごま書房新社)『京都祇園もも吉庵のあまから帖』シリーズ(PHP文芸文庫)、他多数。