menu open

『キャリアと家族の狭間で』第6話

2025年10月10日 投稿
≪≪前へ  目次  次へ≫≫*10/24(金)更新

6話

 仕事と家庭の両立。それがどれだけ険しい道のりなのかは、痛いほど分かっている。全ての幸せを欲張って手に入れられるほど、人生は簡単ではない。
 それでも……私なら、できると思っていた。デザイナーという仕事への情熱、李都という息子への愛情。どちらも私にとってはかけがえのない存在で、どちらかが欠けてしまったら……おそらく私が私ではなくなってしまいそうな気がして。

 だけど、この有り様はなんだ? 私は一体、何をしているんだ? そんな自問自答が、頭の中でグルグルと駆け回っている。
「はぁ──本当に何やってんだろ私」
 夜風が吹くベランダで一人、頭を抱える。自分の不甲斐無さが本当に嫌になる。
 李都を叱りつけた瞬間、私は自分の怒鳴り声で我に返った。李都は収拾がつかないほど大声で泣き始め、何を言っても耳に届かない。私はひたすら「ごめん、李都。本当にごめん」と言いながら抱きしめることしかできなかった。怒鳴った本人が直後に謝罪して許しを求めるなんて、支離滅裂にもほどがある。
 五分近くそんな状態が続き、やがて李都は泣き疲れたのかすぐに眠ってしまった。バラバラに床へ散らばった洗濯物をまたいで、李都をベッドへ連れて行く。私もそのまま寝てしまおうと思ったけど……溜め込んだ疲労とは反比例して、目と頭はこれ以上無いほどに冴えていた。そして今に至る。

 ベランダから望む街の夜景。最初はギラギラに明るかった家の灯り達も、時間が経つにつれてぽつぽつと消え始め、景色がだんだんと暗くなっていくことに気付く。まるで自分の体力ゲージのようだと思うと、少し可笑おかしくなって苦笑いが零れた。いや、ちっとも面白くはないんだけど。
 朝が来るのが怖い。そんなことを思い始めたことに、自分自身が激しく驚く。戦争のような朝の支度から始まり、次に保育園のお迎えで圧迫される仕事時間、そして帰宅してからの家事育児。一連の流れが始まるスタートラインに立とうとすると、足が震えてしまう。この静寂のまま、そして李都がおとなしく眠ったまま──ずっとずっと、何も考えずにボーっとしていたい。ずっと夜が続けばいいと思った。
「もう、嫌だ……。こんな生活もう抜け出したい……」
 思わず零れた本音は、誰にも届かず夜の闇へ溶けていく。あまりに情けなくて、なのにこの状況をいつまでも打破できない自分が腹立たしくて……色々な感情が混ざり合って、自分でも訳が分からなくなり涙が溢れた。

 家族を置いて出ていく? いや、李都を見捨てるなんてとてもじゃないけど私にはできない。慎吾は最悪一人で生きていけるかもしれないけど……それでも、そんな無責任な決断を簡単に下すことはできない。
 じゃあいっそ、仕事を辞める? いや、デザイナーの仕事は私にとっての全てだ。慎吾と出会う前は、仕事を続ける為に結婚を躊躇ためらっていたぐらいなんだから。どれだけ家族が大切でも、この仕事を手放すことは私にはできない。
 今、その両方を必死に掴もうとして、どちらも手から零れ落ちそうになっている。どちらかだけを選ぶことはできない、だけどこの綱渡りがいつまでも続けば……最悪の事態になりかねない。私の体だって悲鳴を上げるかもしれない。

 涙をぬぐい、顔を上げる。家の灯りはほとんどが消え、ところどころ光る街灯だけが空間を照らしている。スマホを取り出して時間を見ると、既に日付を超えていることに気が付いた。
「はぁ……もうこんな時間か」
 ずっと夜が続けばいい。朝が来るのが怖い。だけど、そんなことを思う私に構わず夜は更けるし、容赦なく太陽は昇る。立ち止まる時間さえ神様は与えてくれないのかと、やり場の無い卑屈な気持ちに包まれた。
 もう寝ないと、明日に影響が出る。そう思いながら深呼吸を長く三回して、ベランダから部屋へ戻った。

   *

 翌日。李都は昨日のことなんて何も無かったかのように、けろっとした様子で朝を迎えた。寝てしまえば引きずらないところはやっぱり子供らしいなと、身支度を済ませながら実感する。
 保育園へ李都を送り届け、会社へ向かう道中、色々なことを考えた。何とか全てを良いとこ取りできる方法は無いものかと。仕事と家庭を両立しながら、今よりも負荷を減らす方法。ペダルを漕ぎながら、私は一つの決断をした。

 今までの私であれば、絶対踏み出せなかったであろう大きな決断。それには、同僚と会社の協力が必要不可欠だった。どこまで許容してくれるかは分からない。だけど……これは自分の人生と、今後のキャリアの為。私は自分が働くフロアを一旦素通りし、始業前に上司のもとへ足を運んだ。
「部長、ちょっと相談がありまして……今お時間よろしいでしょうか」

≪≪前へ  目次  次へ≫≫*10/24(金)更新

この記事は役に立ちましたか?

1