7話
百パーセント好みに合う異性との出会いはなかなか無い。それは女性のみならず、男性側から見ても同じ。とどのつまり、男女の恋愛は両想いにならなければ成立しない。自分だけが好意を持っていても、相手にその気持ちが無ければ、関係は終わり。これから先の未来は無い。
その見極めにかかる労力や費用の効率化を実現したのが、マッチングアプリ。共通の友人もいなければ、良くも悪くも相手の芯の部分は知らない。お互いに“合う”と思えば次のステップへ進み、どちらかが“合わない”と思えば、その時点で終了。目的を達成する為だけに特化した、実にコスパの良い仕組みだと言える。
自分はその波を、うまく乗りこなしている。そう確信していた。それなのに──。
「はぁ……こんなに捕まえられないのは初めてだわ」
職場のパソコンの前で、思わず頭を抱える。本多さんとのメッセージが途絶えて一週間、特に誰とも進展が無く、スマホの通知は静寂を貫いている。こんなに意中の人を射止めることができないのは珍しい。
さすがに焦る。日を追う毎にその焦燥感は増していき、経理の仕事に全く集中できない日々が続く。そんな出口の無い思考をグルグルさせていると──自分の名前を呼ぶ課長の呼びかけで、我に返った。
「北見君、ちょっと来て」
そう言って手招く課長は、少し険しい表情をしている。ただでさえ気持ちが落ち込んでいるのに、今度は一体何なんだ……。心の中で溜め息をつきながら、「はい」と短く返事をして立ち上がった。
*
「この伝票を処理したのは、君だよな?」
フロアの隅に設置された応接スペースへ移動し、課長と対峙する。
テーブルの上に差し出されたのは、何日か前に自分が処理した発注伝票。もちろん見覚えはある。だけど──それが一体何だと言うのか、心当たりが無い。
「はい。総務部からプリンターのインクカートリッジの購入依頼が来たので、私が処理しました」
毅然とした態度でそう答える。すると──課長は再び険しい表情へ変わり、伝票を指差しながら私に問いかけた。
「ここに“1200”と記載してあるな?」
「はい、インクカートリッジの単価です」
「その数値が書いてある欄を、よく見てみろ」
「えっ?」
そう言われ、伝票へ目を凝らしてみる。そして──課長の指先に書かれた言葉を見て、背筋が凍った。
私が“単価”だと思って入力した1200という数値。その欄には単価ではなく、“個数”と記されている。驚きのあまり、思わず口元を手で覆った。
「俺が出張で不在にしてた間、必要な承認をすっ飛ばしてメーカーに発注しただろう」
「す、すいません……! すぐに修正します!」
「いや、もう遅いよ」
「へっ?」
急いで自席へ戻ろうとした私へ、乾いた声で制した課長。その口調と表情には、呆れや諦めが入り混じった感情が滲み出ている。
「さっきメーカーのトラックが到着して、大量の段ボールをフロアへ運んできた。おかげでみんな大混乱だ」
「嘘でしょ──!?」
居ても立っても居られず、壁際の窓から外へ目をやる。搬入エリアには直列で三台もトラックが停まっていて、配送の作業員とウチの社員が慌ただしく動いている。
どうしよう。取り返しのつかないことをしてしまった。
そう思って言葉を失っていると──そんな私の心情を察したかのように、課長が「まぁ、とりあえずは安心したまえ」と口を開く。
「さっき俺と部長、そして総務部長も総出で頭を下げて、今回は特例で発注数をその場で修正してもらった。大量の段ボールは、ひとまず引き揚げてもらえることになったよ」
「そ、そうですか……良かった」
そんな言葉が思わず漏れて、体の力が抜ける。作業の様子をよく見ると、それは屋内へ段ボールを搬入しているのではなく、既に屋内へ運んだ段ボールをトラックの荷台へ戻しているところだった。
しかし、安堵したのも束の間。課長の冷ややかな視線が突き刺さっていることに気付き、再び緊張感が走る。数値の確認ミスや上司の承認を飛ばすという、入社したての新人のような凡ミス。課長が怒るのも無理はない。そして、この大騒ぎの収束は、決して私の功績ではない。
「北見君。数値の打ち間違いもそうだが、会社のルールとして上司の承認を得るのが筋だろう。俺が発注前に指摘していれば、こんなことにはならなかった。何か問題が起きて不利益を被るのは君じゃない、会社なんだぞ?」
「す、すいません……。返す言葉もありません」
「もっと仕事に集中しなさい。話は以上だ」
そう言って立ち上がり、応接スペースを後にする課長。ショックのあまり、私はしばらく立ち上がれずにいた。
マッチングアプリに夢中になりすぎるあまり、仕事に支障をきたすなんて……自分はなんて馬鹿だったのだろうと反省する。恋愛でのコスパに気を取られすぎて、危うく仕事でとんでもないコストを支払うところだった。そんな自責の念に駆られながら、数分遅れて私も自席へ戻った。
