menu open

『幸せを運ぶスープ』第2話

2025年5月9日 投稿
≪≪前へ  目次  次へ≫≫*5/23(金)更新予定

2話

『迷子のお知らせを致します。木村 颯太君の、ご家族の方。いらっしゃいましたら、至急、駅員室までお越しくださいませ』

 駅構内、そしてホーム全体へ聞こえるように、何度も繰り返されるアナウンス。どこかにいるはずの両親に、どうかこの声が届いてほしい。僕はそう願いながら、簡易なパイプ椅子にちょこんと座る小さな背中を見つめていた。

「うぅ……ぐすん……」
 颯太君は小さな肩を震わせ、まだ俯きながら泣いている。
 それもそうだ。両親とはぐれて見知らぬ場所に一人取り残されてしまったら、不安でいっぱいになるはず。クリスマスイブという特別な日に、神様はなんて残酷なことをするんだろうと思う。
「大丈夫だよ颯太君。お母さんとお父さん、きっとすぐに来てくれるからね」
 子供を喜ばせる仕事をしているはずなのに、こんな安っぽい言葉でしか励ますことができない。もう少し気の利いたことが言えれば、颯太君を安心させられるのに……。そう思うと、少しだけ自分が嫌になった。

「……ねぇ、お兄さん」
 すると、さっきからずっと俯いていた颯太君が、初めて自ら口を開いた。完全に気を抜いていたせいか、間の抜けた「へっ?」という返事をしてしまう。
「ど、どうしたの?」
「それ──欲しい」
 小さな指先が、ゆっくりと僕の手元を指さす。その先には、さっきコンビニで買ったコーンスープの缶があった。
「えっ……これ? おぉ、いいよいいよ! はい、どーぞ」
「──ありがとう」
 持っていた缶を慌てて手渡すと、颯太君は小さな両手でそれを大事そうに受け取った。短時間で色々なことが起こりすぎて、自分で買ったはずの温かい飲み物の存在すら、すっかり忘れていた。
 たしか、甘さたっぷりって書いてあったな。これなら、まだ幼い颯太君でも飲めるだろう。

「あったかい──美味しい」
 両手で包み込むように缶を持ちながら、温度と味を噛み締める颯太君。不安でいっぱいだった表情が、だんだんと和らいでいくのが分かる。
「そりゃ良かった。こんなのしか無くてごめんな?」
「ううん、嬉しいよ。ありがとうお兄さん」
 颯太君に笑顔が戻った! 偶然だったけど、今日はコーヒーを選ばなくて本当に良かった。
 しかし、そんな安堵の気持ちに浸っているのも束の間。駅員室の扉が、「颯太!!」と言う叫び声と共に勢いよく開かれる。
「ママ!」
「あぁ、颯太……ごめんね怖い思いさせて」
 駆け込んできたお母さんとの再会に、ホッと胸を撫で下ろす。力強く抱き合う二人を見て、心の底から安心した。

「颯太、手に持ってるそれは何?」
 落ち着きを取り戻したお母さんが、颯太君が手に持っている缶に気付き、優しく問いかける。
「これね、お兄さんがくれたの!」
「お兄さん?」
 話題が急にこちらに向く。微笑ましい親子の光景に夢中で、完全に気を抜いていた。既に飲み切って空になった缶を、颯太君は嬉しそうに掲げている。
「あなたが、颯太を見つけてくれたの?」
「えぇ、まぁ──。会社に向かう途中で偶然通りかかって」
 思わず照れながらそう返事をする。
 落ち着いた色味のブラウスに、ふんわりなびくスカート。凛とした雰囲気を漂わせる颯太君のお母さんは、物腰柔らかで気品溢れる女性だった。冴えない一人暮らしの自分よりも、遥かに優雅な生活を送っているように見える。
「この度はご迷惑をおかけしました。本当に、本当にありがとうございます。ほら、颯太もお礼言いなさい」
「お兄さんありがとう!」
「いえいえそんな! お礼を言われるほどでは……」
 そう言って深々と頭を下げる二人。言葉遣いや立ち振る舞いから、育ちの良さが伝わってくる。颯太君をひと時でも安心させられたのなら、こんな飲み物の一つや二つ、安いものだ。

 ところが……僕の役目は終わりだと思い、そろそろ駅員室を出ようとした、その時。
「ねぇママ! お兄さんにも今日のクリスマスパーティ来てもらおうよ!」
「パ、パーティ⁇」
 子供らしい無邪気な、けれど子供からはなかなか聞くことのないフレーズが耳に飛び込んできた。
「こら颯太! 変なこと言わない! お兄さん困ってるでしょ」
「いや、困ってるわけではないんですけど……」
 お母さんは、少し慌てた様子で颯太君をたしなめた。
 やっぱり裕福な家庭なんだ、と心の中で呟く。クリスマスに家族で盛大にお祝いするなんて、なんだか羨ましい。
「えぇ~来てくれないの?」
「いや、颯太君のおウチのパーティでしょ? 僕が来たら迷惑になっちゃうよ」
「嫌だ! 来て来て!」
 ……前言撤回。思いのほか粘られて非常に困った展開になった。どうやってこの場を穏便に切り抜けようか、すぐさま考えを巡らす。
 しかし……そんな思考も無駄に終わる。
「この子が無理言ってごめんなさいね。でも、今回のお礼もさせてほしいの。毎年クリスマスは主人含めて三人でお祝いしてるんですけど、もしあなたのご都合が良ければ……ウチに遊びに来てくださらない?」
 ついにお母さんにも柔らかな笑顔でお願いされてしまった。まぁ、僕は独り身だし、特に誰かと約束をしているわけでもないんだけど……。
「じゃ、じゃあ……お邪魔させていただいてもよろしいですか?」
「えぇ、もちろんよ」
「やったー! お兄さんありがとう!」
 満面の笑みで喜ぶ颯太君。半ば押し切られる形になってしまったけど……まぁ、こんな笑顔を見せてくれるなら行ってもいいかな、と思った。

   *

「では、僕はこれで」
 連絡先を渡し、二人を残して先に駅員室を出た。まさか自分が見知らぬ家族のクリスマスパーティに参加することになるとは思ってもみなかったけど──これで少しは、寂しいクリスマスイブを回避できそうだ。

 そんな安心感に浸っていた、その時。ポケットに入れていたスマホが、けたたましく着信を告げた。画面に表示された上司の名前を見て、思わず「ヤバッ!」と声が漏れる。会社に連絡すること、すっかり忘れていた……。
「も、もしもし──」
 震える指で通話ボタンを押すと、案の定、電話の向こうから怒号が飛んできた。
「おい青野! 今どこにいる! 会社に来ないで一体何してんだ!」
「す、すいません! 今最寄り駅にはいるんですが、迷子になった男の子の颯太君を助け──」
「あぁ⁈ 遅刻ならもっとマシな嘘つけよ! いいから早く来い!」
「は、はいぃ~!」
 嵐のような罵声と共に、凄まじい勢いで電話が切れる。
 温かい気持ちになったのも束の間。結局、僕のクリスマスイブは最悪の形で幕を開けそうだ……。

≪≪前へ  目次  次へ≫≫*5/23(金)更新予定

この記事は役に立ちましたか?

0