
3話
「お兄さーん! 早く早く!」
「青野さん、いらっしゃい。さぁ、上がってください」
仕事を終え、教えられた住所を頼りに木村家のおウチに到着する。そのあまりの豪邸ぶりに、僕は思わず目を疑った。
「お、お邪魔します──」
三階建ての立派な一軒家に、芝生が一面に広がる大きな庭。そして高級車が並ぶガレージ。自分とは住む世界がかけ離れすぎて、その景色に圧倒されてしまった。まるでドラマに出てくるような佇まいだ。
ホテルのロビーを思わせる広い通路を進んでいき、その先のリビングに案内される。
「あなたー! 青野さんがお越しになったわよー!」
お母さんが発した声に反応したのか、リビングに繋がる扉がガチャっと音を立てて開かれた。
ベージュのトレーナーにジーパン姿。現れたのは、いかにもダンディな雰囲気をまとった男性だった。少し白髪は混じっているけど綺麗にセットされていて、とても清潔感のある印象である。
「やぁやぁ! 我が家へようこそ! 妻から話は聞いているよ──どうぞ、ゆっくりしていってくれ」
*
リビングの中央に置かれた重厚な木のテーブルに、お父さんと向かい合って座る。醸し出される威厳あるオーラに、緊張で背筋がピンと伸びる思いだ。
「颯太の父の和臣です。今回は息子が世話になったね」
「いえいえ、とんでもないです! 本当に、たまたま通りがかっただけなので……」
「それでも、感謝してもしきれないよ。今、妻が料理を準備してくれているから少し待っていてくれ」
そんな颯太君は、広々としたオープンキッチンで嬉しそうにお母さんのお手伝いをしている。時折、楽しそうな笑い声が聞こえてきて、家族の温かい雰囲気がこちらにも伝わってくる。
僕とは対照的に、微かな笑みも交えながらリラックスする和臣さん。まぁ、こんな豪華な家の主なわけだから、当然と言えば当然か。
「颯太を見つけたのは通勤途中と聞いたが、仕事は大丈夫だったのか?」
「いえ、上司にこっぴどく叱られました……。颯太君の話も信じてもらえなくて……厳しい上司ですよ、ははっ」
苦笑いを浮かべながら答えると、和臣さんは少し眉をひそめた。
「そうだったのか……。それは申し訳無いことをしたな」
そう言って軽く頭を下げる和臣さん。そんなつもりではなかったと焦り、「いやいや、頭上げてください……!」と慌てて口を開く。
元々パワハラ気質な上司だから、叱られること自体には慣れていた。だけど、颯太君の話を全く信じてもらえなかったのは、正直ショックだった。胸に小さな棘が刺さったような感覚に襲われる。
やり場の無い気持ちにモヤモヤしていると──ふと、あることに気が付く。
「あ、今さらながらすいません。僕こういう者です……」
快く招き入れてくれたにもかかわらず、まともに自己紹介すらできていなかった。どこの馬の骨かも分からない自分を、こうして家に上げてくれたんだ。せめて名刺くらいは渡しておこうと、慌てて和臣さんへ手渡す。
「青野君──ねぇ。君はおもちゃを作っているのか?」
「そうです。まぁ、小さなメーカーなんですけど……」
僕が差し出した名刺を受け取ると、和臣さんはそれを丁寧に、じっくりと見つめる。
ウチの会社はお世辞にも有名企業とは言えない。にもかかわらず、和臣さんはまるで小さな文字も見逃すまいと言わんばかりに、真剣な眼差しを注いでいる。
「君は──子供は好きかね」
「へっ?」
しばらくの沈黙が続いた後、名刺から顔を上げた和臣さんが、そんな質問を投げかける。その意図が全く読めず、一瞬気の抜けた返事をしてしまった。
「そうですね──子供は好きです。本当は颯太君みたいな子供達に、ウチのおもちゃでたくさん遊んでもらって、笑顔を届けたいんですけど……」
「けど……? 何か問題があるのか」
「いかんせん、ウチの会社の規模では、町の小さなおもちゃ屋さんに卸すことがほとんどです。たくさんの子供達へ届いているかと言うと、微妙なところでして……」
自分の会社の現状を話しているうちに、秘めていた熱い思いが込み上げてくる。もっと多くの子供に、自分達が作ったおもちゃで遊んでほしい。それは僕の切なる願いだ。
再び二人の間に気まずい沈黙が流れる。ただの世間話にしては、和臣さんの表情はあまりにも真剣である。
そして、しばらく腕組みをして考え込んだ後、和臣さんはゆっくりと口を開いた。
「──なるほど。本当は、もっとたくさんおもちゃを売って、たくさんの子供達に笑顔を届けたいと。そういうことか」
「はい。それがおもちゃメーカーの存在意義だと思ってますから──」
和臣さんの厳格なオーラに引っ張られてしまったのか、つい真剣な口調で語ってしまった。後から恥ずかしさがじわじわと込み上げてきて、我に返る。
「……あ、すいません! 余計なこと話しすぎましたね……」
「いやいや、良い話を聞かせてもらった──。君のような人なら、颯太を助けるのも納得がいくと思ってね」
そう言って、和臣さんは僕の張り詰めていた気持ちをほぐすように、優しい笑みを浮かべる。気まずかった沈黙は消え、リビングには穏やかな空気が流れ始めた。
すると、まるでそのタイミングを見計らったかのように、キッチンからお母様と颯太君が顔を出す。
「は~いお待たせしましたー! お料理できましたよー!」
和臣さんとの会話が一段落したところで、次々と料理がテーブルに運ばれてくる。ミートパイにアクアパッツァ、ローストチキンと、クリスマスイブを彩る豪華なご馳走がテーブルに並ぶ。
「そうだ青野君。君、お酒はいける口かね」
「えっ? あぁ、はい。お酒は好きなんですが、明日も仕事で朝早いので今日は少しだけにしておきます」
「そうか、それなら仕方無いな……。ではほどほどに楽しもうじゃないか」
そう言うと和臣さんは、キッチンの奥にあるワインセラーから高級そうなワインを一本取り出し、丁寧に三人分のグラスに注いだ。颯太君はもちろんジュースだ。
木村家の日常に、今日僕は思いがけず加えてもらい、賑やかな食卓を囲んでいる。こんな温かいクリスマスイブを過ごせるなんて、今朝までは想像もできなかっただろう。込み上げる感謝の気持ちを胸に──僕は和臣さんの合図でグラスを掲げた。
「では、青野君のような素晴らしい若者との出会いに──乾杯」