
4話
木村家でのパーティを終えた翌日。楽しかった思い出の余韻に浸るのも束の間、それでも仕事へ向かわないといけない朝はやって来る。眠い目をこすり、残ったお酒の頭痛を感じながら重い足取りで会社へ進む。
「おはようございま~す」
あくび混じりで月並みの挨拶を吐きながらオフィスへ足を踏み入れた。
今日はクリスマス当日。相変わらず気分は乗らないけど、昨日遅刻を怒られた手前、いつもより早い時間に出社した。
……はずだった。
「おい! 早く応接室の準備をしろ!」
「資料とお茶菓子の用意はできてるのか!」
怒号のような声が飛び交い、オフィスの空気は異様な緊張感に包まれていた。いつもなら、この時間はまだ人影も疎らなはずなのに、今日はやけに騒がしい。それどころか戦場のようにバタついている。
「えっ……何この状況」
思わず言葉を失った僕の目の前には、慌ただしく動き回る社員達の姿。椅子とテーブルを運び、書類を整理し、電話をかけながら指示を飛ばしている。誰もが真剣そのもので、ただならぬ雰囲気であることは明らかだった。
これは……一体どういうことだ?
「あぁ青野! お前今日も来るの遅えよ……ちょっとこっち来い!」
必死そうな表情で僕を呼んだのは、あのパワハラ気味の上司だった。呆然と立ち尽くしていた僕を、有無を言わさず空いていた会議室に連れていく。
いや、むしろ始業時間より早く出社してるんですけど……という本音は、グッと飲み込んでおいた。
「はぁ……はぁ……おい、青野」
「はい、何でしょうか……」
上司は今まで相当走り回っていたのか、かなり息切れしている。目付きもいつも以上に鋭いし、口調も荒いし、なんだか余計に怖い。また何か怒られるのだろうか。少なくても今日は遅刻ではないはずだけど。
「お前……どんな手を使った」
「は、はい?」
質問の意図が読めず、思わず緊張感の無い声で聞き返す。
さっきから何の話をしているんだ? どんな手? 手って何?
そんなことを思いながら、自覚の無い心当たりを頭の中で必死に探す。すると──上司の口から、予想だにしない言葉が飛び出した。
「あの”トイ・ドリーム”の常務が! 昨日の夜、ウチと販売契約を結びたいと突然連絡してきたんだ!」
「ト、トイ・ドリームが⁈ そんなまさか……!」
焦りや熱気が入り混じった上司の言葉に、僕は思わず言葉に詰まった。
トイ・ドリーム──業界内では泣く子も黙る、国内最大級のおもちゃ量販店である。ウチのような小さいメーカーなんて、普通なら見向きもされない。いや、認知されているかさえ怪しいレベルだ。一体どんな流れでそんな話に行き着いたのか、想像もつかない。
「しかもな……その常務はどうやら、『この会社に青野という社員はいるか』と尋ねたらしい」
「ぼ、僕ですか⁈ いや、トイ・ドリームなんて大きい会社、自分はおろか会社単位でも接点は無いですよ……思い当たる節が全くありません」
「それでも、連絡を受けた者がそう聞いたと言ってるんだ。どういうことか、説明してくれ!」
「そんな、説明してくれと言われましても……」
必死に言葉を並べる上司とは裏腹に、自分でも何がなんだか状況を掴めずにいる。
あの会社とは今まで取り引きしたことなんてないし、ましてや知り合いと呼べる人もいない。何故僕を指名したのか、そもそも何故僕の名前を知っているのか。話を聞けば聞くほど、謎が深まっていく。
「しかも、今から常務直々にウチへお越しになるらしい……。こんなこと、異例中の異例だぞ」
「い、今から⁈ それは急がなきゃ……僕も手伝いますね!」
そう言ってワイシャツの腕をまくり、僕も来客に向けて準備に加わる。全てがあまりにも突然で頭がまだ追いついていないけど、みんなが必死になる理由は身を染みて痛感した。
おもちゃ業界最大手のリーディングカンパニーがウチに目を付けるなんて、一体何が起きているんだ……。そんなことを思いながら、手を動かし続けた。
*
「ふう──なんとか間に合った」
ハンカチで汗を拭いながら、早くも達成感に浸る。応接室のセッティングに、お茶菓子と資料の用意。お出迎えする準備は全て整った。僕も含め、ここにいる社員全員が息を切らしながら安堵の表情を浮かべている。
しかし、そんなささやかな休息を味わっているのも束の間。外の様子に気付いた上司が、慌てた様子で声を上げた。
「あ、もうすぐ到着するぞ!」
その言葉を聞き、みんな一斉に会社の入り口へ駆け出す。通路を邪魔しないよう、ピシッと一列に整列して到着を待った。
そして、一台の車が入り口の前にゆっくりと停車する。周囲の景観とは不釣り合いな、ピカピカに輝く黒塗りのハイヤー。後部座席のドアを丁寧に開ける運転手の姿に思わず息をのみ、一気に緊張感が高まる。
ところが──そこから姿を現した人物に、僕は心底驚き、目を疑った。
「……えっ?」
洗練された風格を醸し出すダークブラウンのスーツ。そのシルエットは、昨日お会いした時よりもさらにダンディな印象を僕に与えた。
「あぁ──! あなたは!」
感嘆に満ちた僕の声に、その人物はひょいと手を挙げてにこやかに答える。
「やぁやぁ! 元気そうじゃないか青野君。昨日は楽しかったよ、ありがとね」
和臣さん──もとい、トイ・ドリームの木村常務。
クリスマスパーティでお酒を酌み交わした颯太君の父親が、会社の中へ颯爽と足を進めていった。