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『あなたのいるところ』第15話

2026年5月15日 投稿

(十五)

 良平の兄——平川良介は驚いたように目を見開いたが、ほんの一瞬のことだった。すぐに気を取り直したように、口を開く。
「お久しぶりですね。菫さん」
「突然の訪問をお許しください。どうしても直接お伺いしたいことがあったので」
 菫は背の高い義兄を見つめた。五人を射抜くような力の強い瞳。高い鼻筋。薄い唇。
 記憶にあるよりずっと、良平によく似ていた。良平が十五年分歳をとったらこういう感じになるのだろうと自然に思わせるほど。
 だが、目の前の彼にそっくりだったはずの私の夫は、もういないのだ。
「どうぞ、そちらにおかけください」
 宗介は来客用らしきテーブルに菫を案内し、慣れた手つきでお茶を淹れて目の前に置いた。
「それで、お話というのは」
 事務的な言い方だった。
 弟の結婚相手ではなく、他人として距離を置かれているように感じた。
 宗介は十五年前、震災の後一度だけ実家に顔を出して以来、いっさい連絡を絶っていたという。実の弟がいなくなったと知っても顔色ひとつ変えない冷酷な人だと思っていた。
 この家族の過去に何があったのだろう。義両親にそれとなく尋ねてみたことはあったけれど、頑なに話そうとしなかった。
 菫は息を飲み、口を開いた。
「半年前、良平が私の前にやってきました」
 そう言うと、宗介がわずかに眉を寄せた。
「半年前……というと、それまでは一度も?」
「ええ。十五年間、ずっと行方不明だったのに、です。正直、もう見つかることはないだろうと諦めていました」
 遠野慎一郎は、名古屋からやってきてわざわざ東京の歯医者を受診した。
 何度思い返してみても、あの時、遠野は自分に会いに来たとしか思えなかった。
「名前も顔も、私が知っている彼とはまったくの別人でした。でも、歯の形が良平と同じでした」
 宗介の顔が引きつったように強張るのがわかった。
「……信じてもらえないとは思いますけど」
 菫は言葉を濁して目を伏せた。いまから自分が言おうとしていることに、自信が持てなくなりそうだった。
 顔も名前も違う人間を、歯の形だけで十五年間行方不明だった夫だと思うなんて、馬鹿げている。
 それを否定するためにここまで来たのだとすら思う。
 でも、これまでわかったことの一つ一つが、二人が同一人物なのだと告げていた。
 いや、と宗介は首を振った。
「信じるよ。実を言うと僕も、人の顔を覚えるより歯の形や並びを覚えるほうが得意なんだ」
 そう言って、初めて表情を崩して微笑んだ。
「君の評判は聞いているよ。愛想はあまりないが、歯科医としての腕は一流だと」
「そうですか」
 今度は菫が苦笑する番だった。
 菫の評判を知っているということは、実家のことを少しは気にしているのだろう。
 そうでなければ、小さな町医者の評判が大学の研究室まで入ってくることなどないだろうから。
「ところで、聞きたいことがあるんだったね」
 菫はうなずく。
「十五年前に宮城で見つかった白骨体のことです」
 十五年前。二〇一一年二月に、仙台の林道で白骨死体が発見された。地元の人しか使わないような人通りの少ない道で、監視カメラもなく、犯人は見つからなかった。
 その一ヶ月後に地震が起こり、東北地方は混乱の渦に包まれ、結局遺体の身元もわからないまま事件は迷宮入りとなった。
 つい最近まで、菫もそのことを忘れていた。
 だが、十五年前という時期が気になった。
 十五年前の未解決事件。過去の新聞記事やネットニュースを漁って見ても、詳しい情報はわからなかった。
 警察に知り合いもいないし、いたとしてなんの情報もないのに教えてはもらえないだろう。
 そのとき思い出したのだ。良平の兄が法医学の研究室にいたことを。
「よく覚えているよ。当時この研究室にその白骨体の顎骨が送られてきたからね。さすがにもうここにはないけれど」
 宗介の言葉に、菫は目を見開いた。
 法歯学で有名なこの大学なら、もしかしたらデータが残っているのではないかと思ったのだ。
「データを見せていただくことはできますか」
 宗介は菫を見て、
「少し待ってて」
 と立ち上がり、パソコンの画面を開いた。菫は横から覗き込んだ。
 いくつもの写真が写し出された。上顎と下顎の二つに分かれている。骨も歯も変色が少ないことから、それほど年月は経っていないと思わせる。おそらく発見から半年か一年前くらいに、何者かによって地中に埋められたのだろう。
「わかってると思うけど、見るだけだよ。写真はもちろん、書き写すのも禁止だ」
 菫はうなずいて、画面を食い入るように見つめた。
 初めて見る歯の形。歯列。そのはずなのに——
 知っている、と思った。
 実際には一度も会ったことのない、その人に。
 菫は手帳に挟んでいた一枚の写真を取り出した。
 学校の校門の前で、歯を見せて笑う学ラン姿の少年と、スーツ姿の両親が写っている。胸にはピンク色の花。高校の卒業式の写真だ。
『稔が父親の昔の写真を見たがっている』と嘘をついて、遠野夫妻から譲り受けたのだった。
「この男性の歯を見て、どう思いますか」
 菫が言うより前に、宗介は目を見開いて写真を凝視していた。
「……似てるな」
 宗介がつぶやいた。
「でも、前歯の形だけではさすがに同一人物とは言えない」
「ええ」
 菫はうなずいた。
「だから、これから確かめに行こうと思います」
 宗助が目を見開いて菫を見た。
「どうやって? いくら検討がついていたとしても、病院のカルテは大方処分されているだろう」
 一般の医療機関において、患者のカルテやデータの保存期間は治療が完結した日から五年間と定められている。
 最近では医療過誤や訴訟のリスク、災害時のことを考慮して五年以上保存する病院も増えてきたけれど、それは震災以降のことだ。
 十五年前はごく限られた医療機関でしか認められていなかった。
 でも、あったのだ。遠野慎一郎が子供の頃に歯列矯正をした口腔外科が入っている病院はカルテの保存期間が四十年と決められていた。
 矯正をしたのは七歳のときだが、特殊な治療だったため、五年ほど定期的に受診はしていたと言っていた。
 最終診療日が十二歳のときなら、まだ電子データが残っているはずだった。
「警察でもないのに患者の個人情報を見せてもらえるとは思えません。でも、身内なら可能です」
「なるほど。たしかに、両親なら可能だろうね」
 宗介は納得したようにうなずいて言った。
「私、もう一度仙台に行ってみようと思います。

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