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【2022年過去ログ⑦】NHK大河ドラマ 鎌倉殿のお薦め本 ~漆の巻~

2022年9月12日 投稿

こんにちは!
歴史と地図と旅行が大好きの 大田川店の雪餅です!

2022年NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」
脚本は「真田丸ブーム」を作った三谷幸喜さん。
様々な史料の説を絡めたオリジナルストーリーです。

本記事では、鎌倉殿をより楽しむための歴史本を、毎週の放送と合わせてご紹介します。

本の画像をクリックすると、そのままネット注文できます。
三洋堂書店での受け取りなら、手数料&送料は無料です。

【最終更新:2022/9/12】

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室町時代のお薦め本も紹介しています。良かったら見て下さい。
『新九郎、奔る』『逃げ上手の若君』 漫画界に「室町ブーム」が到来!?

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第31回「諦めの悪い男」


源頼家(金子大地)の後継者をめぐり、激しさを増す北条と比企の争い。
比企能員(佐藤二朗)はせつ(山谷花純)が産んだ頼家の長男・一幡(相澤壮太)を推し、早々に朝廷の許しを得ようと躍起になるが、大江広元(栗原英雄)らは取り合わない。
一方、義時(小栗旬)は比奈(堀田真由)に頼んで比企の動向を探り、三浦義村(山本耕史)にも相談を持ち掛ける。
そんな中、政子(小池栄子)のもとに北条時政(坂東彌十郎)、りく(宮沢りえ)らが集まり――

「思えば頼朝様は正しかった。
敵を容赦せず、常に先に仕掛けた。
これがあの方の教えです。」

北条と比企の対立が激化し、義時は話し合いによる解決を図るも、最終的には武力による強引な手段を選択。
義時の冷酷な所業を諫める息子の泰時(坂口健太郎)は、かつての自分を見ているようで、思わず苛立ちの言葉が出てしまう。
亡き兄宗時の「北条の世をつくる」願いを叶えることは、義時の行動指針であり、悪行の免罪符にもなっている様に感じました。
目で心情の変化を伝える名演技、お見事です!
今回の比企能員の変についても、『吾妻鏡』の分割相続に憤った比企能員の反乱説と『愚管抄』などの北条時政のクーデター説が見事にブレンドされています。
(この違いについては次回。)

さて今週は、初登場した義時と比奈のかわいい息子たち、朝時&重時に因み、野口実先生編著の『図説 鎌倉北条氏』(戎光祥出版)をご紹介。

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将軍の尊重、朝廷との協調、北条一族内の名越流、極楽寺流、金沢流ほか庶流によるそれぞれの思惑と動向。
終わりのない血で血を洗う権力闘争。
激動の時代を統治した鎌倉北条氏の全貌を、多数の図版を用いて解き明かします。

第1部 北条氏嫡流の歴史
北条時政、義時、泰時から続く、北条家の本流「得宗家」の政治について。
ドラマでは描かれない、泰時以後にどのように“北条の世”が作られたかが分かります。
第2部 北条氏庶流の歴史
義時の次男・朝時は、今回の鎌倉紀行で紹介された時政の名越邸を継承して「名越流」を起こします。
母比奈の比企氏の地盤を継ぎ、得宗家に次ぐ勢力として得宗家から警戒・冷遇され、両者は度々対立し、数度の討伐も受けました。
義時の三男・重時は、兄泰時と良好な関係を築き、一族は「極楽寺流」と呼ばれます。
子孫も執権や六波羅探題など要職に就き、得宗家の正室にも入りました。
第3部 北条一族の特徴
幕府の運営形態や、源氏将軍や朝廷との関係を解説。
第4部 北条氏のライバル氏族
今回の主役「比企氏」や相模の最大勢力「三浦氏」など16の氏族を解説。
「足利氏」と北条氏の滅亡についても書かれています。

このように『図説 鎌倉北条氏』は、「人・氏族」単位でまとめられています。
政変や戦争、役職、政策など「こと」単位で構成された『図説 鎌倉幕府』とセットで読むと、双方の理解がより深まるので、お薦めです。

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第32回「災いの種」


奇跡的に息を吹き返した源頼家(金子大地)。
しかし後鳥羽上皇(尾上松也)のもとには頼家危篤の報が届き、後鳥羽は考えを巡らせる。
鎌倉では、政子(小池栄子)のもとに義時(小栗旬)、泰時(坂口健太郎)らが集まり、新たな体制について話し合っていた。
そんな中、一人で思いにふける比奈(堀田真由)。
一方、先を見据えるりく(宮沢りえ)は、時政(坂東彌十郎)に京との関係をより深めるように説き、愛息・政範(中川翼)も胸を高鳴らせる。
そして、三浦義村(山本耕史)は――

「失われた宝剣の代わりが武家の棟梁、鎌倉の将軍と。
新将軍、大事になさいませ。」
「儂が(千幡の)名付け親になってやろう。
必ずや京と鎌倉を繋ぐ “実(さね)” となってもらおう。
“実朝(さねとも)”じゃ。」

慈円(山寺宏一)が後鳥羽上皇へ、自身の夢の考察を通じて、公武協調を促すシーンでした。エエ声です。
ちなみに、慈円が見た夢とその考察は「慈円和尚夢想記」に記されています。

一方鎌倉では、最悪のタイミングで頼家が息を吹き返しました。
政子は何とか取り繕おうと動きますが、もはや後の祭り。
どう考えても双方幸せになる未来はありません。
仁田忠常(高岸宏行)は、頼家と北条の板挟みとなり、自ら命を絶ってしまいます。

今週は、慈円和尚が残した史論書 『愚管抄(ぐかんしょう)』をご紹介。
「講談社学術文庫版」が、大隅和雄先生の現代語訳付きで読みやすいです。
学生時代に読んだ「岩波文庫版」は長く難解で、何度も挫折しました。
(20年前にこの本が欲しかった!)

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天皇家・摂関家内部の権力抗争が武力衝突に発展し武士の政界進出の端緒となった保元の乱。
そこに、乱世の機縁をみた慈円は、神武天皇以来の歴史をたどり、移り変わる世に内在する歴史の「道理」を明らかにしようとします。
摂関家に生まれ、仏教界の中心にあって、政治の世界を対象化する眼をもった慈円だからこそ書きえた歴史書の、決定版全現代語訳。

『愚管抄』の原著は、3部構成の全7巻です。
1巻と2巻が神武以来の天皇年代記。
3巻から6巻までは「道理」の推移を中心とする歴史述叙。
そして7巻は「道理」についての総括となっています。
愚管は私見の謙譲語で、その生い立ちや仏教思想から公平な視点の書ではありませんが、逆にそこが、激動の時代に生きた慈円和尚の生の声として伝わってきます。

歴史述叙の部分は、北条贔屓の『吾妻鏡』と読み比べると面白いです。

例えば「比企能員の乱」について
『吾妻鏡』では、
①頼家危篤、一幡と千幡の家督の分割継承を決める
②それに憤った比企能員が、頼家と北条時政の討伐を密談
③それを盗み聞いた政子が時政に知らせる
④時政は大江広元と相談し、能員を呼び寄せて誅殺
⑤比企一族は一幡の小御所に立て籠もる
⑥政子の命令で小御所に比企氏討伐軍を派遣
⑦比企一族は力尽き、館に火を放ち自決(一幡も焼死)
⑧3日後、危篤を脱した頼家は一幡と比企の滅亡を知り激昂
⑨政子の命により頼家が出家、やがて修禅寺に退く

『愚管抄』では、比企の縁者からの情報を元に、
①大江広元邸に滞在中の頼家は病が重くなり、自ら出家
②長子の一幡への家督継承を決める
③比企の全盛を恐れた時政が、能員を呼び寄せて誅殺
④大江邸に武士を送って、頼家を監視下に置く
⑤一幡を殺そうと小御所に軍勢を派遣
⑥比企一族は皆討たれるが、一幡は母に抱かれて逃げ延びる
⑦大江邸で回復した頼家が比企の滅亡を知り激昂
⑧政子が頼家を押さえつけ修禅寺に押し込める
⑨2月後、一幡は義時の手勢に捕らえられ郎党の藤馬に殺される

大河ドラマ「鎌倉殿の13人」は、その違い(ギャップ)を上手く使った脚本になっています。
仁田忠常の最期も、どちらとも違う第三の選択でした。
『吾妻鏡』では、頼家から時政討伐の命を受けた翌日、能員追討の恩賞で時政邸に呼び出され、その帰り道に誅殺されます。
『愚管抄』では、頼家の状態を知らなかったため能員を討伐。3日後に侍所に2人で出仕していた北条義時と闘って討たれます。

ちなみに、慈円和尚は、後白河法皇(西田敏行)に仕え、40年間の日記『玉葉』を残した九条兼実(田中直樹)の同母兄にあたります。
兄弟揃って貴重な記録を残してくれて、ありがとうございます!!

第33回「修善寺」

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鎌倉では政子(小池栄子)の次男・源実朝(嶺岸煌桜)を鎌倉殿とする新体制が始まり、北条時政(坂東彌十郎)が執権別当に就任。
時政を裏で支えるりく(宮沢りえ)は、実朝の正室を京から迎えることを進言し、娘婿である平賀朝雅(山中崇)を通じて後鳥羽上皇(尾上松也)に願い出る。
しかし、御家人たちは派手に権力をふるう北条を敬遠。
三浦義村(山本耕史)の忠告に義時(小栗旬)も苦笑する。
一方、失意の源頼家(金子大地)は――

「お前、わるい顔になったな。
だが、まだ救いはある。お前の顔は悩んでいる顔だ。
己の生き方に“迷い”がある。その“迷い”が救いなのさ。
わるい顔だがいい顔だ。
いつかお前の為に仏を彫ってやりたいなぁ。いい仏ができそうだ。」

修善寺の頼家の処遇を巡って迷う義時でしたが、鎌倉への謀反の証拠が出たため、頼家を殺す決断を下します。
頼家も覚悟を決め、殺しに来た善児と切り結び、返り討ち寸前まで追い込みます。
その後 背後からトウに刺されますが、武家の棟梁らしい最期でした。
また、畠山重忠(中川大志)に対しては、調子に乗った北条時政への疑念の種を蒔きました。
そして善児自身もまた、源範頼や五藤太夫妻を殺した因縁深い修善寺で、トウに殺されます。
(今回の主役は善児に持ってかれちゃいましたね。)

一方は鎌倉では、3代鎌倉殿の実朝が和歌の勉強を始めます。
政子から「軒先から滴り落ちる雨垂れを一晩中眺めていた」という感受性豊かなエピソードを聞いた三善康信(小林隆)は、“タタタタタ♪”と雨音で五七調と七五調のリズム、句切れを伝えて、花鳥風月を感じるままに詠むよう教えます。
これを、京から派遣された教育係の源仲章(生田斗真)は「和歌とは気の向くままに詠むのではありませぬ」とバッサリ。
帝が代々詠み継いでこられたものを学ぶよう促します。

ちょうどこの頃、都では和歌にハマった後鳥羽上皇により、盛んに歌会・歌合が行われていました。
前回から登場する慈円(山寺宏一)もその一人。
また、和歌所を再興して、藤原定家らによって『新古今和歌集』の編纂を始めました。
そうした“新古今調”の特徴の1つが、有名な古歌の1句を自作に取り入れる「本歌取り」です。
「詠み継いできた和歌を学ぶ」仲章の姿勢もこの風潮からかと思います。

前段が長くなりましたが、今週は『新古今和歌集』をご紹介。
まず最初に読むなら、約2,000首の全歌から名歌80首を厳選した「ビギナーズ・クラシックス(ソフィア文庫)」がお薦めです。

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華やかで個性的な才能あふれる中世歌人たちの競演伝統的な歌の詞を用いて、新しい内容を表現することを目指し、『万葉集』『古今和歌集』とは異なった独自の歌風を作り上げた第八番目の勅撰和歌集。

各歌の現代語訳と解説がとても読みやすく、ふりがなも振られているので朗読にも最適な入門書です。
また、合間のコラムで「本歌取り」「掛詞」「体言止め」など、技巧的といわれる新古今歌人の技法を、実際の歌の事例を交えて紹介しています。

小学校で学ぶ、恋歌が中心の『万葉集』『百人一首』と比べると、季節の移り変わりや風景を詠んだ歌も多く、旅好きな私は『新古今和歌集』の方が好みです。
これらの歌集は、全て「ビギナーズ・クラシックス(ソフィア文庫)」から刊行されていますので、ぜひ読み比べてみて下さい。

ちなみに『新古今和歌集』には、頼朝が詠んだ歌も入っていて、和歌好きの実朝は、完成したばかりの『新古今和歌集』を京から取り寄せています。
やがて天才歌人と謳われた実朝の和歌は、勅撰和歌集や『百人一首』に選ばれ、自らも家集『金槐和歌集』をまとめています。

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第34回「理想の結婚」

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源実朝(柿澤勇人)と後鳥羽上皇(尾上松也)のいとことの婚姻が決まり、政子(小池栄子)の心配をよそに喜ぶりく(宮沢りえ)。
一方、京では後鳥羽上皇が源仲章(生田斗真)、慈円(山寺宏一)らと鎌倉の行く末について思いを馳はせていた。
そんな中、北条時政(坂東彌十郎)から代々受け継ぐ惣検校職(そうけんぎょうしき)のお役目を返上するように求められた畠山重忠(中川大志)が、疑念を抱いて義時(小栗旬)に相談。
その義時ものえ(菊地凛子)を――

「体よく惣検校職を奪い取ろうというのではないですか。
舅殿(時政)は武蔵を奪い取るおつもりでは?
小四郎殿にはお伝えしておく。
武蔵を脅かすことになれば、畠山は命がけで争う覚悟。」

比企や頼家を追い落とし、初代執権となった時政は、畠山重忠や足立遠元の所領「武蔵」の直接的な支配を企みます。
第1回の時は37歳の元気な坂東武者だった時政も、今や67歳のお爺ちゃん。
大江広元など周囲への気配りも減り、独りよがりに振舞い始め、息子義時からの貴重な諫言も無視してしまいます。

「鎌倉殿の13人」では、主人公・義時目線の時政が中心で、北条氏や牧氏(りく)の出自や京都守護の在京時代は、あまり描かれていませんでした。

そこで今週は、野口実先生の『北条時政』(ミネルヴァ日本評伝選)をご紹介。
今年の6月に出たばかりの新刊です。
副題の「頼朝の妻の父、近日の珍物か」は、九条兼実(ココリコ田中)が日記『玉葉』に記した一文で、京の貴族たちから見た時政は「珍物」として好感を持たれていたそうです。

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北条時政(1138年から1215年)鎌倉幕府初代執権。
源頼朝の死後、二代将軍・頼家を廃し、実朝を擁立し実権を握った時政。
さらに娘婿・平賀朝雅を将軍にしようとするも失敗、子の政子と義時に逐われ伊豆に隠棲したとされます。
緻密な史料批判による実証作業を踏まえ、最新の「武士論」研究の成果に基づいて、時政の実像を捉え直します。

伊豆北条氏の出自から時系列順に書かれた北条時政の評伝で、特に「第三章 時政の周辺」と「第四章 時政と京都権門」を読むと、時政やりくに対する見方が変わります。
第三章は、頼朝挙兵以前から北条と京とのネットワークを構築していた時政の腹心「北条時定」(ドラマ未登場)と、時政の後妻りくの一族「牧氏(大岡氏)」について。
第四章は、義経に代わって上洛した時政と京都権門の関係について書かれています。
ドラマみたく、ただ頼朝の舅という立場だけで、時政を京都へ派遣した訳ではないことが分かります。

伊豆の在地領主として頼朝と共に平家を打倒した、勇ましい坂東武士の時政。
ライバルの御家人たち次々と滅亡させた、狡猾な謀略家の時政。
坂東彌十郎さんの名演によって作られた、純真な好々爺の時政。
この本で見えた、京との太いパイプを持ち続けた老獪な政治家の時政。

様々な北条時政のイメージが合わさり、もっともっと知りたくなりますね。
この先の「鎌倉殿の13人」で、時政の晩年がどう描かれるのか、楽しみです。

第35回「苦い盃」


源実朝(柿澤勇人)の妻になる後鳥羽上皇(尾上松也)のいとこ・千世(加藤小夏)が鎌倉へ到着。
政子(小池栄子)らが出迎えるが、愛息・北条政範(中川翼)の凱旋を心待ちにしていたりく(宮沢りえ)は失意に沈んでいた。
そんな中、娘婿・平賀朝雅(山中崇)が畠山重忠(中川大志)の嫡男・重保(杉田雷麟)への疑惑をりくに告げる。
一方、朝雅の振る舞いについて重保から相談された義時(小栗旬)は、父・時政(坂東彌十郎)に――

「お前の悩みは、どんなものであっても、
それはお前ひとりの悩みではない。
遥か昔から同じことで悩んできた者がいることを忘れるな。
この先もお前と同じことで悩む者がいることを忘れるな。
悩みというのはそういうものじゃ。
お前ひとりではないんだ、決して。」

前回の平賀朝雅による北条政範の毒殺疑惑を受け、義時へ相談する畠山父子。
そのことを時政へ訴えるも、既に朝雅はりくに畠山こそ犯人であると訴え、自身は逃げるように京都へ帰ってしまいます。
時政も、りくが信じる畠山犯人説が無理筋であると理解している様子ですが…。

時政パパの目線だと、娘の政子・実衣(宮澤エマ)や息子の義時・時房(瀬戸康史)たちに信頼・信用されてない感じが隠さず伝わってきて、そこが何とも寂しい限りです。
自分を介さず政子がりくに直接訴えたり、息子たちの会話に入れてもらえなかったり、果ては傷心のりくからも「自分の血縁以外はどうでもいい」と冷たくあしらわれて。
北条第一主義の時政も、北条家の中では何とも悲しい立ち位置にいますね。
坂東彌十郎さん演じる気のいい時政が、ひとり冷徹な決断をした背景には、そういった家族に信じてもらえない負の感情もあったのかもしれません。

さて今週は、来週の主役!畠山重忠の時代小説をご紹介。
斉東野人先生の『雄鷹たちの日々 畠山重忠と東国もののふ群伝』(海象社)です。

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貴族政治が力を失い、混沌として荒らぐ東国。
雄々しく恬淡と生き、後世に「武人の鑑」と称された17歳の畠山重忠が、戦場へと愛馬を駆る!!
キラ星の武士(もののふ)群像を活写し、鎌倉武士政権初期の“血と陰謀の武士道”を描き切ります。

北条氏の正史『吾妻鏡』の裏側の「北条氏の陰謀」を描いた畠山重忠の物語です。
坂東武者の強さや狡猾さと同時に、人の弱さや愚かさも描いた人間ドラマで、378頁の長編ながら最後まで一気に読めました。
義時目線の「鎌倉殿の13人」とは違った、重忠目線の鎌倉草創の様子を知ることができます。

個人的には、5年前、旅行先の小さな本屋で偶然出会った思い出の一冊でもあります。
なかなか本屋で見かけないレア物ですが、見かけたら是非読んでみて下さい。

いざ、鎌倉へ(秋の鎌倉もいいですね。)

如何でしたでしょうか。

大河ドラマは、登場人物がたくさんいてとても賑やかですね!
ニッチな人物が登場する度に、本やネットで調べてみたり。
歴史好きの至福の1年です。

私の趣味全開の大田川店では、室町時代と戦国初期が合体した「中世日本史フェア in 東国」を半永久的に展開中です。
ちょこちょこ中身を入れ替えてますので、お近くの方は是非見に来てください。
北条時行(逃げ上手の若君)と北条早雲(新九郎、奔る)。
二人の北条氏も、いつか大河ドラマになることを願って 人

書いた人:雪餅(大田川店)
歴史や地図、一人旅が大好きの書店員。
青春18きっぷで年3回 鈍行旅行する乗り鉄でもあります。

鎌倉は歴史観光で五度ほど訪れていますが、見どころが多く、まだまだ廻りきれていません。
コロナの波が落ち着いた頃には、『街道をゆく』や『るるぶ鎌倉殿』を読み返しながら、またゆっくり歩きたいですね。

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